このドキュメンタリーには映画の神様が2度舞い降りる。せっかく映画の宣伝が出来る機会を頂いたので、広告のセオリー通り一つ目の神様光臨までを書かせてもらい、2度目は皆さんの目で、劇場で確認いただければ幸いです。
映画「立候補」が予想を大きく上回る反響を受けている。「どうしてだろう?」今年2月の夕張国際映画祭での招待上映までは劇場公開など夢のまた夢でしかなかったのに。藤岡監督と首をかしげるばかりだ。
舞台は2011年秋に大阪で開かれた大阪W選挙(府知事、市長選挙)。マック赤坂を筆頭に大阪ローカルの無所属候補者3名を軸に泡の様に現れては消えていく泡沫候補たちを追った。同時に、伝説の政見放送で知られる外山恒一、泡沫の最高峰、羽柴誠三秀吉などにも外野参戦を請い、報道が写さない彼ら独自の戦いにカメラを向けた。
撮影開始当初、カメラの立ち位置はすべての撮影対象者を均等に、あくまでも距離を保ちながら冷たく捉えようとした。否、そうせざるを得なかった。ある者は酒を飲みながら気ままに踊り、ある者は4位を狙うと優しく囁く。またある者はオウムの様に誰彼かまわず挨拶だけを繰り返す。とどめは引きこもりの様に家から一歩も出ない孤高な戦いを選択するのだ。
争点とするべく政策においても、自分たちが納得できる言葉を彼らは持ってはいなかった。かなり耳を澄まして聞き込んだつもりではあったが、理解できなかった。映画のコピーにもなっている、「負けるとわかってなぜ戦う」その理由が見えなかったのだ。最初の映画の神様が舞い降りる選挙戦最終日までは。
その夜、大阪難波は熱を帯びていた。幾千もの聴衆たちに囲まれる橋下徹(現)大阪市長および維新の会陣営。投開票日前日にも関わらず、高らかに宣言される勝利の刻を待つ聴衆の興奮した雰囲気に包まれる。そんな完全アウェーの場に一人切り込んだのは平成のドンキホーテ・マック赤坂とサンチョパンサ・秘書の櫻井だ。
ロシナンテよろしくロールスロイスに跨がり一人、橋下維新陣営に食って掛かる。「同じ300万円という供託金を払いながら、あなたはこの大観衆の前で演説ができる。私にはできなーい!お願いだから、5分だけでもいい。喋らせていただきたい!」
まったくズーズーしいにも程がある。ここに集まる聴衆は、マックさん、あなたの言葉を聞きにきている訳ではないのだ。当然、聴衆たちの反応は「否」だ。言葉尻を捕らえては「帰れ」コールまでわき起こる。興奮は最高潮に達する。それでもまったく意に返さないマック陣営の2人。物騒な言葉の嵐の中であざ笑うかの様に踊り始めさえする。
怒声が飛び交う難波の夜。報道カメラのフラッシュが明滅し、一瞬の静寂が駅前のロータリーに訪れる。一人立つマック赤坂の背にセルバンテスが描いた伝説の騎士が宿るように見えた。マック赤坂が対峙した風車。それは絶大なる人気と勢力(当時)を誇る橋下徹だったかもしれない。しかし、本当の意味で対峙した相手は、その風車の原動力となっている「風」ではなかったか?
政治家は常に民意という風にその身を傾け、民が求める言葉を発し、一所懸命、歯車を回す。聴衆の欲求が満たされなければ、いつも通りのネガティブキャンペーンが繰り返される。政治家を指差してディスるのはいとも簡単だ。それが橋下徹であろうが、マック赤坂であろうがそんなに大差はないのかもしれない。目には見えない、主体性の無い「民意=風」が持つ宿命であり、だからこそ許される(?)行為なのかもしれない。
しかし、私たちは風ではない。泡沫候補という呼ばれ方を否定するマック赤坂、およびこの映画に登場する候補者同様。自らの信条と誇りに従い人生という大嵐の中で日々抗い、戦っているのでは?そんなことをカメラのファインダー越しに気づかされた。一つ目の映画の神様が降臨した瞬間だった。
二つ目の映画の神様はさらに不思議な、凄まじい角度から訪れる。このサイトの読者さんであれば必ず見つけられることと思います。まだまだ書き足りないのですが、今日はここまでにさせてください。劇場でお会いしましょう。
プロデューサー 木野内 哲也
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