本書は「朝日新聞 土曜版〈be〉」に2009年から2011年にかけて連載されていた歴史エッセイをまとめたものだ。著者はNHK「BS歴史館」でお馴染みの磯田道史。この人の解説から歴史が好きになった人も多いのではないだろうか。『武士の家計簿』や『殿様の通信簿』などの著作も好評で、すべての作品からは丹念に資料を追う著者の姿勢がにじみ出ている。
本書でも慶長時代の小早川隆景から平成時代の寺田英吉まで、108人の日本人にまつわる資料を丁寧にあたり、それぞれを見開き1ページに収まる文章にしている。「はじめに」によれば「もし可能であるならば、その人物が一生涯に書いた書簡から作品まで、全部読む覚悟で臨んだ。(中略)わずか1週間で、重さにして数十キロの史料を山と積み、そのなかに埋もれながら必死の読破して書いたものもある。この本を書くために、わたしが自転車で運んだ資料の重さはトンの単位になることは間違いない」とある。
ポイントは「なぜ自転車なのか?」というところではない。読者にとっては数分で読み終わる800字ほどの文章を毎週連載するために、著者はトン単位の資料に埋もれていたのである。そんな本が面白くないはずがない。新刊ではないがプレミアム・レビューとして取り上げた所以である。それでは本書から何人かの日本人を紹介してみよう。
鹿野武左衛門(1649−1699)は今日埋もれた天才だと著者はいう。大阪生まれ、漆塗りの職人であったが生来話術が巧み。「江戸にはおもろいやつはおらんやろ」と思ったか江戸に下り、滑稽話を考えては芝居小屋や風呂場で人々を笑わせ始めた。評判になり大名まで彼を座敷に呼ぶに至ったという。関西お笑い芸人の元祖なのだ。伊勢物語や源氏物語などの古典にも精通。しかし、弾圧をうけ無実の罪で伊豆大島に流罪になり衰弱死した。以来、江戸では落語が100年停滞し、江戸の笑いは出版物が中心になったという。もうこれだけで小説や評論が1本書けることは間違いない。著者は「鹿野はいまだ無名。記録しておく」と結んでいる。
細井広沢(1658−1736)は赤穂浪士・堀部安兵衛の親友だ。あまり知られていないが、著者によれば江戸時代史上、細井ほど武士の諸芸をきわめた者はいないという。書は天皇が渇望したほどの腕前。軍学、剣術、弓馬、鉄砲など武芸は万能で、能も舞ったという。そのうえ西洋の天文測量術を研究していたらしい。吉良邸への討ち入り趣意書の添削もしたというのだ。これまたこの人を主人公にした小説を一本書ける。
堀勝名(1717−1793)は江戸中期の熊本藩で、のちに日本全土の近代化に大影響を及ぼした宝暦改革を主導した。堀は司法制度改革も行った。「刑法局」という司法専門の役所をつくり、裁判を専管させた。お奉行の御白州ではなく、行政と司法を分離させたのだ。それだけではない、堀は日本初の刑務所もつくった。それまでの追放刑では再犯率が高かったからで、刑務所に入れられた受刑者を働かせ、日当は更生資金として支給したという。ムチ打ち刑の導入にあたっても、自分の尻を打たせて、痛みの程度を確かめ、打つ回数を決めたのだという。これまた評伝を1本書けるのではないか。
栗本鋤雲(1822−1897)は幕末の幕臣。母は「鬼平」長谷川平蔵の姪。幼少から科学的合理主義者だったという。体は巨大で容貌魁偉。頭脳は傑出していたが、上司の怒りにふれ、蝦夷地の箱館に飛ばされた。それが良かった。箱館で大活躍。たちまち病院建設、育種、養蚕紡績を立ち上げて徳川幕府の近代化モデルを作り上げてしまった。そののちに軍艦奉行や外国奉行になり、フランス派遣中に幕府は滅亡してしまった。
これ以上紹介しては商売迷惑だろうからやめておこう。ともあれこの調子で1人につき600−800字の読み切りだから、通勤電車の中だけでも余裕を持って読み終わるであろう。いい忘れたが、登場する108人には本文だけでなく、その人の言葉も紹介されている。たとえば
島津斉彬「人材は一癖あるものの中に選ぶべしとの論は、今の形勢には至当なり」
正岡子規「学校で一番になるには学校の事ばかりを勉強すればわけもなし、しかしお気の毒ながら天下の仕事と学校の仕事と同じからず」
頷ける処無数。座右の一冊とすべきなり。