僕は、本を読むときは、一言一句文章を丁寧になぞって、ほぼ完全に消化してしまうまで読み込むタイプなので、滅多に同じ本を2度読むことはない。本書は、ANAグループ機内誌「翼の王国」に連載された小品をまとめたもので、いくつかは間違いなく読んでいるはずだが、再読することに全く躊躇いはなかった。それは何故か。著者の文章や門内ユキエさんのイラストレーションが大好きだったばかりではない。僕は、およそ読書と旅(放浪)には目がないが、著者の文章に接すると、体の深奥から、「ああ、僕もこんな旅がしてみたい」という、甘酸っぱいような、懐かしいような細かい気泡がふつふつと沸き上がってくるのを感じたからだ。しかし、改めて本書を読み終えた今、決してそれだけではないということを思い知らされた。
巻頭に書かれた「世界で一番うまい肉を食べた日」。誰しも「あるある」と相槌を打つのではないか。「熱帯の恋愛詩」ベリーズに流れ着いた太った上海娘、メイリーとエル・サドバドルからきたミゲルの恋。なんと純心でなんと熱いのだろう。「キューバからの2通の手紙」の「それきり彼のもとには何の音沙汰もなかった」という最後の一文が胸を打つ。人間は、なんと愚かで優しいのだろう。
しかし、本書は、実は作者と同じダンという名前を持つ日本人の男性とウガンダ娘アミーナと二人の間に生まれた男の子を主人公にした一連の物語なのだ。つまり、この短編集は、実は1つの物語でもあるのだ。「アミーナの買い出し」は、「アミーナが彼のアパートに寝泊まりするようになって1週間ほどだった土曜日の朝・・・」という一文で始まる。ここで、読者は始めて二人の恋、二人の馴れ初めを知らされる。この家族の物語は、時系列をわざとばらばらにして編まれている。その妙が、またなんとも心憎いのだ。はらはらと天に昇るような笑い声を上げるアミーナのなんと魅力的ないことか。目の前にアミーナが現れたら、きっと、ほとんどの男性は彼女が大好きになるだろう。
「逃れの街」で、「アミーナがナイロビのM.P.シャー病院で、子供を産んだとき、その子の父親は陸を超え海を越えた遠い国の遠い町に暮らしていた」。もちろん、彼はナイロビに向かうのである。ただし、若干の紆余曲折を経て。「カチョンバーソの長い道のり」では、「それから七年も八年も経ってからのことだ。すでにアミーナと別れ、二人の間に生まれた子供を連れて東京に暮らすようになっていた彼は・・・」という一文で、読者は突然に二人の別れを知らされる。二人が知り合ったきっかけも(ナイトクラブ?)、別れの理由も何一つ明示されることはない。それだけに、二人の「七、八年」の見かけとは裏腹に、恐らくはギュッと濃縮されていたであろう人生の時間が、本当に切なくて、読む者の胸に迫る。
出口 治明
ライフネット生命保険 代表取締役会長。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。