とざい、と~ざい。本日はぁ、HONZはじめてのだしものぉ、HONZプレミアム。レビューしまするは、なかのとぉ~るぅ。(知ってる人は、文楽の口上風に声を出してよんでみてください。)
ということで、HONZプレミアム、記念すべき第一回である。日本のノンフィクションを盛り上げようという崇高な使命をもったレビュー軍団HONZには、いくつかのルールがある。その一つは、原則として出版三ヶ月以内に紹介しなければならない、というものである。いくら、内藤順みたいに仕事もそこそこに本屋にいりびたっていても、どうしても見落としというものがある。また、少々古くても、読んだが最後、どうしても紹介したいという本もある。
そこで、成毛眞から、『新刊じゃないけど、プレミアムな、古くて新しいような、Kindle化記念とか・・・まあ、そこんとこ適当に。ルールを適当に決めていただいて、勝手に発表していただければ、それでOKかと思います。』という、きわめてHONZ的なHONZプレミアムの趣旨考案が下命された。短い文章に二回も使われている、適当、という言葉の意をくんで、とりあえずは適当にはじめてみたい。
しかし、当然、HONZプレミアムで紹介される本のレベルは、いつかクラシックに列せられるほど、相当に高くなくてはならない。そして、レビューの内容も、通常の『おすすめ本』や『新刊超速レビュー』を凌駕しなくてはならない。勇気をふりしぼり、不肖なかのとおる、が第一回に果敢に挑戦いたしまする。
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堀越二郎。おそらく、半年くらいまでは、さしたる知名度はなかったはずだ。しかし、この夏、宮崎駿の『風立ちぬ』とともに、多くの日本人が知ることになった。『風立ちぬ』には賛否両論あるようだが、少なくとも、映像と音楽の美しさ、それから、声優としても驚くほどの能力を発揮する大竹しのぶには、いたく感動した。しかし、どうしても、主役の『堀越二郎』には、最後まで感情移入ができなかった。私が堀越二郎の名を知ったのは、吉村昭の名作『零式戦闘機』を読んだ時のことだ。この本から抱いていた堀越のイメージと『風立ちぬ』でのイメージとが違いすぎたのだ。
天才的技術者、いや、的、などいらない、天才技術者であるという側面が映画から十分に伝わってこなかった。あの映画で、堀越二郎を天才だと感じとることができる人もいるのだろう。しかし、堀越自身の手による、この『零戦』を読むほどに強く感じることができるとは思えない。『従来のしきたりや規格を神格化しないで新しい光を当て』、『徹底した合理精神とともに、既成の考え方を打ち破ってゆくだけの自由な発想』をもって零戦を設計した堀越は、過去という慣性力を振り切る能力を持った、卓越した技術者だった。
堀越は、『当時の航空界の常識では、とても考えられないことを要求していた』計画要求書、のちに零戦と名付けられる十二試艦上戦闘機戦闘機の計画要求書を海軍から提示されたとき、無理だと直感する。一度は、つきつけられたたくさんの条件をひとつでも下げてもらえないだろうかと要望をいれるが、海軍側から却下される。計画要求書の内容がいかに厳しかったかは、堀越が勤めていた三菱のライバル社であった中島飛行機が、その設計を辞退したことからもうかがえる。
不可能に近いと感じた堀越であったが、エンジンと重量だけをおおまかに考えたくらいのかなり早い段階で、新しい飛行機のイメージが頭のなかに浮かんだという。それを元にスケッチを描く。ミケランジェロは石の中から、運慶は木の中から、すでに存在する像を彫りだしただけであったという。堀越も同じような天才だ。先に設計に携わった九六艦戦の外形を『さらに洗練し、スマートさと、ぴんと張りつめた感覚を持たせたようなスタイル』が、はっきりと見えたのだから。
そのイメージに、性能のディーテイルをあてはめていった。というと簡単に聞こえるかもしれない。しかし、それは、機体重量の十万分の一までをも考慮するという、じつに繊細なものであった。その上、戦闘機は、単に飛べばいいというものではない。操縦性にも大きな注意を払わなければ命取りになってしまう。パイロットの意見を入れ、操作性の向上のため、堀越は考えに考え抜いて、いくつかの画期的なアイデアを導入する。
1万425機も作られた零戦が、戦争においてどう使われ、どれだけの人命を奪ったかについてはあまり詳しく書かれていない。これこそが堀越の技術者としての節度であり、矜持であろうかと思う。戦争中に戦闘機を作るのである。どう使われるかは納得ずくであったはずだ。しかし、それがどう使われるかは技術者にとって責任の外のことと割り切らねば、できはしまい。
それに対して、試験飛行において亡くなった二人のパイロットには、事故原因とともに一章ずつが割り当てられ、詳しく書かれている。予測不可能であったとはいえ、自分の設計が原因となって事故をひきおこすのは、ひとえに技術者の責任であるということなのだ。零戦によって奪われた人命と、試験飛行でなくなった人命に対するスタンスの違いに、技術者としての態度がにじみでている。
決して、堀越が命のことを軽く見ていたと言いたいのではない。自分の仕事を全うし、その責任をどこまで負うべきか、を見事に認識していたと感じるのみである。終戦の日、堀越は、『これで私が半生をこめた仕事は終わった』と思うと同時に『これで飛行機とは当分、いや一生お別れになるかもしれない』と悲しんだ。この本が書かれたのは、戦後25年たってからのことである。終戦の日から、この日まで、何を考え、どのように感じておられたのだろうか。
連合国が神秘とも感じるほどの高性能を持った零戦。もし、零戦がなかったら、太平洋戦争初期における日本軍の赫々たる戦果もなかっただろう。そのような重要な責務を担うべき戦闘機の設計責任が、30歳ばかりであった堀越に下った、というのは、驚くべきことだ。トム・ハンクス主演の映画『アポロ13』を見たときに、エド・ハリス演じるジーン・クランツを責任者とするコントロールルームの若さに感動したのをよく覚えている。真に新しいことを成し遂げるには年寄りのいらぬ経験などじゃまなだけかもしれない。時代の特殊性があったとはいえ、当時の日本にはそれだけのダイナミズムがあったことが鮮烈な印象を残す。
最後に堀越は記す。
“私の半生をかけたこの零戦が、なおも日本の技術と日本人の心の中に生き続けているのを知って、深い安堵と満足を覚えるのである。“
単なる技術者による記録などではない。グローバル化ばかりがさけばれる世の中、『世界の中の日本の国情をよく考えて、独特の考え方、哲学のもとに設計された』零戦の思想から、学び取れることは多い。『風立ちぬ』を契機に、堀越二郎の『零戦』が一人でも多くの人に読まれることを強く望むものである。
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なぜかKindle版は講談社文庫。
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零式戦闘機のすべてを知るために。
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零戦がなければ、太平洋戦争初期の大いなる戦績は不可能だったろう。HONZレビューもあります。