今年、第100回を無事に終了したツール・ド・フランス。フランス全土、およそ3600キロを23日間(うち2日間は休息日)かけて自転車でかけめぐるレースである。ピレネーやアルプスといった山岳レースも含まれており、連日マラソンを走るほどの過酷さといわれている。そのツール・ド・フランスの歴史、ルール、しきたり、から、名勝負、そして日本人選手まで、すべてがわかるコンパクトな本が『ツール・ド・フランス』だ。
トップを走るライダーはマイヨジョーヌとよばれる黄色のジャージを着ることができる。のではなくて、着用することが義務なのだ。どうして黄色かというと、販促のためにツール・ド・フランスを開始した新聞社の新聞紙が黄色だったから。というのはちょっと肩すかしであるけれど、こんな小ネタも満載されている。
ツール・ド・フランスはマイヨジョーヌを目指して走る個人競技であるにもかかわらず、チーム単位の参加しか認められていないというのは少し不思議である。しかし、それは自転車競技の特殊性に理由がある。選手のフィジカルと自転車の性能がいちばん大事なのはもちろんであるが、そこには物理法則の壁が立ちはだかる。その最大の壁は空気抵抗なのである。
トップを走る選手は大きな空気抵抗をうけ、体力を大きく消耗してしまう。長丁場、それでは最後に笑うことはできない。エースの体力を温存させるため、チームメイトがその前を走って空気抵抗を軽減させなければならないのだ。チーム競技にして個人レースになっている理由がそこにある。ちなみに、そういう理由もあって、チームが獲得した賞金は合算の上、全選手に公平配分されることになっている。
では、どれくらいの空気抵抗があるのだろうか。といった、自転車における科学的なことをすべて教えてくれるのが『サイクル・サイエンス』である。眺めているだけでも楽しくなってくる大判で美しい図表にあふれるこの本では、エアロダイナミクスのために一章がさかれているほど、空気抵抗は重要なのだ。
『ほかの自転車を風よけにする効果はあるか?』というページを見ると、先行する選手の後ろにできるスリップストリームにはいると、どの程度有利であるかが一目瞭然。時速50キロ-すごいスピードだがツールの選手にとっては驚くほどのスピードではない-だと、後ろの選手はトップの選手の7割ほどのエネルギーでついていけるのだ。しかし、このメリットは速度が遅くなるほど小さくなる。だから、スピードを出せない山登りコースで一気に集団を抜けるアタックが勝負所になるし、一人ずつでスタートするタイムトライアルでもタイム差がつきやすくなる。
ドーピングで取り消されてしまったが、ランス・アームストロングのツール七連覇というのは、文字通り前人未踏のものであった。それというのも、それ以前は五連覇が最高であり、その『五勝クラブ』には、アンティクス、メルクス、イノー(以上フランス)、インデュライン(スペイン)の4人もいて、その4人ともが6勝には手が、というか、足が、というかが届かなかったのであるから。
いくつもの名勝負が紹介されているが、いちばんすさまじいのは、ベルナール・イノーと、そのチームメイトで、米国人として最初に優勝することになるグレッグ・レモンのエピソードだろう。ツール5勝目がかかった1985年、イノーは落車事故に巻き込まれて負傷し、遅れてしまう。しかし、イノーに勝たせたいチームの監督は、レモンに対してイノーを待つように指示を出す。イノーも『来年のマイヨジョーヌはおまえにゆずる』から、今年は自分に勝たせてほしいとレモンに頼み、無事、五勝クラブ入りを果たす。
しかし、翌1986年、イノーは約束を破る。マイヨジョーヌを着ていたイノーは、レモンと5分以上も差があったのに、さらに差を広げようとアタックをかけて振り切り、6勝目をあげにかかる。その非常識で非紳士的なおこないに怒ったレモンは猛烈な追撃を開始、優勝を奪い取る。この年を最後に、イノーはツールを去り、以後、フランス人のツール優勝者はでていない。
その後のレモンも決して順調ではなかった。狩猟仲間のライフル暴発事故で胸に50発もの散弾を浴び、次の2年を棒に振る。しかし、誰もが再起不能と思った1989年、奇跡の復活優勝を果たす。それも、平均時速54.545キロという、いまだに破られていない史上最速のタイムで。レモンは空気抵抗を減らす二つの『秘密兵器』をたずさえてカムバックしたのだ。
ひとつはダウンヒルバーというハンドルにつけるアタッチメント。『サイクル・サイエンス』をひもとくと、これを用いると空気抵抗が減弱し、5%も走行能率が向上すると書かれている。ダウンヒルバーで身を低くし、タイムトライアルで驚異的な走りをみせて一気に優勝に近づいたのだ。もう一つは流線型のヘルメット。これも『サイクル・サイエンス』によると、正しい角度でかぶれば、であるが、確実に空気抵抗を減らすことができる。
このような『飛び道具』だけでなく、自転車そのものの強度と安定性、素材、そしてそれを動かすための二本足による駆動など、自転車のことならすべてわかる。そして、残念ながらドーピングのことも…。
『サイクルサイエンス』を読むと、『おぉ、そうか、そうだったのか自転車』状態になることができる。そして、たとえママチャリに乗っていたとしても、きっと、この本で得た知識でちょっと工夫した走りをして、『おぉ、気分はツールやんけ』状態になりたくなるはずだ。
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ランス・アームストロングのチームメイトであったタイラー・ハミルトンによるドーピング告白の書。残念なことだけれど、私にとって、今年になって読んだ中でいちばん面白い本だった。東えりかのレビューはこちら。アマゾンの評価も非常に高い。
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ランス・アームストロング自身による半生記。これもアマゾンで非常に高評価を得ているベストセラーだったけれど、これからは読まれなくなるでしょうねぇ。