深海がブーム。みたいな気がする。NHKスペシャル『ダイオウイカ』の興奮は記憶に新しいし、その本が出ただけでなく、劇場用の映画にもなるらしい。特別展『深海』が国立科学博物館で開かれているし、本屋さんでも『深海本』とでもいうべき写真集がけっこうたくさん売られている。この原稿を書いているさなかにも、朝日新聞の科学欄に”生命の謎に深く迫る-超深海・熱水域で有人調査-”という記事が出たし、日経ビジネスオンラインでも、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の有人潜水調査船「しんかい6500」と母船「よこすか」の記事が大人気らしい。
その、しんかい6500に乗って生命誕生の謎に激しく熱く迫る研究者、高井研の冒険譚である。[youtube]http://www.youtube.com/watch?v=EXn-JP5eb7M [/youtube]このYouTubeで、やたら元気に騒いでいるのが高井研その人であるらしい。しんかい6500で七つの海深くに潜り、『海底二万マイル』のノーチラス号もかくやと、巨大イカに襲われたりしながら、いのちからがら深海の微生物を次々とハンティングしていく、といど派手な物語だ。
というわけではない。たぶん超優秀と思われる深海海洋生物学者・高井研の研究者人生が主な内容である。おぉ研究者にはこんな人もいるのだと感心しながら、波乗りのような経歴を読むのが楽しすぎる。しかし、あなどるなかれ。この本の中身は、研究を楽しみながら歩むための秘訣がたくさん含まれていて、マリアナ海溝のように深い。というのはちょっと言い過ぎだけれど、本当に、研究者を目指す若者にはぜひ読んでもらいたい内容だ。
自然科学系の研究者にとっていちばん面白いのは、もちろん、誰も知らないことを真っ先に探り当てていくことだ。そして、もうひとつ、あまり語られない面白さがある。それは、どの領域に進んで、どのようなキャリアをとっていくかを、自分自身で決めることができる、ということだ。能力や業績、そして、受け入れてくれる組織があるかどうか、ということに左右されることはされる。しかし、自分の興味と責任において、そういったことを決めていけるという自由度、というのは、今の世の中では例外的に大きい職業なのである。
高井研は行動力のある研究者だが、自分の人生についてはあまり熟考するタイプではなさそうだ。ちょっとしたことですごく刺激をうけて、この道しかないと思い込んで即決実行していく。研究テーマも、留学も、大学院を出てからの就職先も。そして、すばらしいのは、基本的に結果オーライであることだ。一歩間違えば転落しそうな気がするほどに、じつに微妙にバランスのとれた人だ。
『地球生命は深海熱水から誕生した』というのが、高井研の証明しようとする仮説であり、それに向かって、まっしぐらに進んできた経緯がおもしろおかしく語られていく。そのために、給与条件がよかった理化学研究所からのオファーを断り、JAMSTECのポスドク(博士号取得後研究員)になる。そこでは、おそらく被害妄想ではないかと思われる『関東人による関西人いじめ』も経験したりするが、そんなことはものともせずに着実にキャリアアップしていく。
この研究をするためには、深海の底にある『熱水チムニー』とよばれる場所に棲む、100度以上の環境でも元気に生きている『超好熱菌』を採取して、その生態や遺伝子を解析する必要がある。超好熱菌のほとんどは、かつては『古細菌』とよばれていた『アーキア』の一種である。あまり知られていないが、アーキアというのは、核を持った生物である真核生物や、いわゆるバクテリアである『真正細菌』と非常に違った性質を持った、ちょっと不思議な生物なのである。
その『極限環境微生物』を採取するために、高井研は、しんかいに乗って海底奥深くへと潜っていく。この研究領域のことはよくわからないのであるが、研究するからといって、必ずしも研究者自身が深海まで行く必要がないような気がしないでもない。YouTubeでの興奮度合いからすると、ひょっとしたら、しんかいに乗るために、この研究テーマを選んだのではないかと勘ぐってしまいたくなるのである。
Wikipediaを見ると、しんかい6500の潜水には、一回で数千万円もの経費がかかると書いてある。ほ、ほんまか…。うちの研究室の年間研究費が一日で使われるのか…。おそらく、しんかいの作製経費も勘案してのことなのであろうけれど、ウルトラビッグサイエンスであることには間違いない。熱水チムニーの周辺域には、なんと、鉄の鱗を持つ生物、スケーリーフットも棲息している。そのスケーリーフット(本名・ウロコフネタマガイ)を見た時のおたけびが、冒頭のYouTubeなのである。たしかに仕事でもなんでもええから、乗ってみたくなるなぁ、これは。
しんかい6500で潜行していく景色のすばらしさは、海の青さが次第に濃くなり、最後には光の届かない漆黒の世界に行きつくという、その過程であるらしい。そのすばらしさを読者にも感じてもらうために、この本には特殊な工夫がされている。じっさい、潜行のすばらしさの百万分の一くらいは感じられるような気がしないわけでもないので、ぜひぱらぱらとめくって体験してほしい。
科学の議論においては、地位も名誉も年齢も性別も、そして互いのこれまでの人間関係や利害関係も、まったく関係はなく、すべからく対等であるべきであり、おかしいと思うことには自分の全存在をかけて否定し、すごいと思ったら全身全霊で賞賛すべき。
高井研が語るような、こういうまっとうすぎるくらいまっとうなことを堂々と言う、元気でやんちゃな研究者がじゃんじゃん増えて、わんさかおもろい成果を出していってほしい。そうしたら、科学というものが、どんどんみんなの興味を引くようになっていくだろう。それこそが、科学立国の基盤になるはずだと信じている。
------------------------------------------
高井研の研究内容が詳しく書いてある。はずです。すみません、読んでません…
------------------------------------------
NHKスペシャル 深海プロジェクト取材班の本。こども向けには、これもあります。
------------------------------------------