例えば、ひと昔前の「紙の」稟議書がデジタル化されて、会社からも消えつつある現在、本書は書かれるべくして書かれた書物であると言えよう。デジタル化の波がひたひたと押し寄せつつある中で、紙という媒体が歴史の中で果たしてきた役割を振り返ってみることは、心躍る知的冒険に他ならない。
メディアとしての紙と言えば、我々は反射的に新聞や書物を連想してしまう。しかし、著者は「印刷される/印刷されない」「製本される/製本されない」という座標軸から、紙の全貌を捉えなおそうと試みる。だからこそ、例えばトランプ遊びの重要性が視野に入ってくるのである。著者は、明らかに印刷機に重きを置いたマクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」に代表される、これまでの通念を問い正そうとしているのである。プロローグに置かれたポール・ヴァレリーとジャック・デリダの指摘がウロボロスのようにエピローグにこだまする構成も妙である。
紙は中国で生まれ、アラビアからヨーロッパへと伝わった。有名なゲニザ文書のエピソードも面白い。紙に付随して、アッパーズ朝で生まれた手形法のような制度(文化体系)も、またヨーロッパに伝わったのである。そのきっかけは、十字軍であった。ヨーロッパでの製紙産業の発展と、ぶどう圧搾機の関係にも目からウロコが落ちた。紙はその原料を長らくぼろ布に依存していたが、1880年代以降、木材パルプにとって代わられた。その時期は、精錬業での燃料需要が木材から石炭に切り替わる時期でもあったのである。需要の空隙は、こうして埋められた。
しかし、本書の最大の魅力は、ラブレーやドン・キホーテからファウスト、バルザックやジェイムズ・ジョイスに至る著名な古典を例示に掲げて紙の文化史を論じている点にあろう。パンタグリュエリヨン草の指摘も腑に落ちたし、ロビンソン・クルーソーの日記(インク)のくだりも、なるほど、と、頷かされた。多くの図版も全てがとても興味深いものばかりである。ただ、図版の小ささが惜しまれる。恐らく定価との折り合いをつけたのであろうが、図版に倍の大きさがあれば、さらに読者の興趣を誘ったであろう。
さらに、望蜀を嘆ずれば、著者が東洋の文書行政、例えば雍正帝の硃批に通じていれば、どのように分析・叙述したであろうか。ふと、想像をたくましくしたくなった。
出口 治明
ライフネット生命保険 代表取締役会長兼CEO。詳しくはこちら。
*なお、出口会長の書評には古典や小説なども含まれる場合があります。稀代の読書家がお読みになってる本を知るだけでも価値があると判断しました。