ファイナンスに関してはビジネススクールでいろいろ聞いたはずなのだけれど、私にとって「お金」は今でもお茶やお菓子を買うためのもので、世の中に存在している不思議な存在のままだ。まあ、生きていければ良い。しかし、本書を読んで改めてわかったのは、お金の話が予想以上におもしろい、ということだった。歴史オンチの私は、円とウォンと元と米ドルが、国際通貨だったメキシコ・ドル(銀圓)に由来していることを、本書を読んで知った。「ドル」という読み方が通訳が「dollar」を「ドルラル」と読んだのがきっかけだということや、黒船が来た時、差し入れた食料の支払いがメキシコ・ドルだったことを知った。そして、それは、『ハウス・オブ・ヤマナカ』を読んだ時に考えた「明治の世の中」のイメージに組み込まれた。初めて電車が開通した頃、まだ飛行機も無線通信もなかった頃に出来た「日本円」は、スペインの植民地の銀山とつながっていたのだ。
明治時代といえば、本書の著者の板谷さんは、前書『日露戦争、資金調達の戦い』において金融という切り口から日露戦争を描いた人だ。本書でも日露・第一次・第二次大戦時の資金調達について書かれており、第二次大戦中の東株大指数とダウ・ジョーンズの動きが、それぞれの国の戦況の予想を反映していて興味深い。
などと、明治の話だけで、ここまで来てしまった。まだ全72話のうち4話の内容を少し紹介しただけだ。書店で題名を見た時には、どの時期からの歴史なのだろうと思ったが、読み始めてみたら、まだ「お金」が存在していなかったメソポタミア時代の、世界で最も古い楔形文字で残された記録から始まる本であった。そこから「株式会社」や「国債」、「保険」といった身近な存在が誕生する経緯や、第二次大戦からバブル、オプション取引、リーマンショックまで、本書の幅広さは、とてもとてもレビューでは紹介しきれない。金融の中心地はイタリアからブリュージュ、アントワープ、アムステルダム、ロンドン、ニューヨークと移り変わり、それぞれに明確な理由があるそうだ。
できるならば、この本では「お酒の歴史」や「食べ物の歴史」などと同じように「金融の歴史」を楽しんでもらえればと思います。
『インドカレー伝』『銃・病原菌・鉄』『チャップリン自伝』などの参考文献からも、この本の内容の幅広さがうかがえる。『インドカレー伝』は中世のコショウ貿易、『銃・病原菌・鉄』は大航海時代のヨーロッパの多様性、『チャップリン自伝』ではウォール街大暴落と失業に関して言及している。15万通にも及ぶ中世イタリア商人の書簡を基にしたという『プラートの商人―中世イタリアの日常生活』では、「暗黒の中世」とは全くイメージの異なる、活発なビジネスの世界が描かれているそうだ。これは読んでみたい。本書は、読書ガイドとしても素晴らしい本だ。
読み返す度におもしろい部分を再発見する本書であるが、現時点では第2章に書かれている8話が印象深い。ミクロネシアのヤップ島で使用されている、「フェイ」と呼ばれる貨幣の話である。日本では、日比谷公園にさりげなく置かれているらしい。直径1m程の石だ。大正13年には1000円くらいで通用したという。国会図書館によれば、現在の価値換算で100万円弱だ。
[Yap stone money, Eric Guinther; wikipedia commons]
フェイは直径30cmから3mくらいの石灰石で、皆、500km離れたパラオ島から運んで来た。この「お金」の使い方には特徴があり、石自体は同じ所に置きっぱなしで、売った人と買った人が了承すると「所有権」だけが移動する。ファツマクという老人はヤップ島で一番の資産家と呼ばれていたが、誰も彼の石を見たことがなかった。数代前の先祖が巨大な石をパラオから持って帰る途中にシケに遭い、石は海に沈んでしまったが、その大きさや素晴らしさを証言してくれる人がいたため、高額の資産として認定された。フェイとなって運ばれた石にまつわる「物語」に価値があるという。この第2章の章題は「貨幣の幻想」である。フェイ以外にも、中国で始まった「紙幣」や、インフレを利用した借金返済などが取り上げられており、お金は信用であり集団の幻想だということがよくわかる。
私たちは紙に印刷しただけの紙幣も使うし、ネット決済などでは紙ですらなく、手にとって質量すら確認できない微量の電子信号を、いうなれば単なる情報を貨幣として信じて使っています。
多くの技術革新を経て、電子マネーは「フェイ」と同じ情報のやりとりに落ち着いた。結局、お金は人間の活動の反映だ。本書は、金融の歴史を描いていながら、その時代の素直な生き方を描いているのが魅力である。著者は「金融史とはお金に形を変えた人間の欲望の歴史でもあります」と述べる。そして私には、その欲望が一種の希望に見えたのだ。
著者の板谷さんのBlog. すごいです。読みこんでしまいます。
本書の参考文献リストも掲載されています。
幕末の通貨取引に関する参考文献として挙げられています。
生命保険の起源について「イスラム世界や中国でも共済的な思想や制度はあっただろうし、我が国においても相互扶助組織としてさまざまな「講」が存在していた」と参照されています。
ニュートンは晩年に造幣局長となった。内藤順のレビューはこちら。
日本の成長が止まったのは先進国に追いついたからというところは本書と同じ意見。レビューはこちら