「松原が実現したくて、この35年間取り組んできたのは、まさにこの人間独特の直感、ひらめきをもとにした「判断」力であった」
本を開く前に、横からの眺めが真っ白ならば、写真や図が少ない文字ばかりの本だろうと想定する。横から眺めたときに、黒線や色線が見えると、その本に写真や図表を暗に期待する。本書は、一本、黒いラインが見えた書籍である。そこを開くと、研究者の不敵な笑みがある。彼の名は松原仁。35年間、コンピュータ将棋の研究に身を投じてきた男である。
将棋のことは駒の動かし方しか理解できない方は、本書を将棋本としてではなく、人工知能(AI)の歴史として読んでいただけるとうれしい。将棋に興味のない人は、3~5章は飛ばしたほうがよい。同世代の読者に人工知能を簡単に説明するために、僕の人工知能との出会いを語る。ドラゴンクエスト4の戦闘のコマンドである。
「ガンガンいこうぜ」「みんながんばれ」「じゅもんつかうな」など、勝手にキャラクターの動きが設定される(勝手に動かれて困った、よく全滅した)機能である。故に僕たちの世代(1980年台前半生まれ)は小学生のときから、人工知能と共に人生を歩んできているのである。ただ、この場合、ドラゴンクエストで人工知能が闘う相手も、コンピュータである。
今回の将棋の対局では、相手が人間である。コンピュータは一般的に一辺倒な答えを出し、パターンを読まれやすいという弱点がある。チェスの世界一の王者を破ったコンピュータも一度はパターンを呼ばれ、敗北をしている。弱点を補うために「ゆらぎ」をつくったのが、今回登場するコンピュータ将棋「あから」である。プロ棋士との対戦におけるコンピュータの進化と対戦する棋士の心理やコンピュータに対する学習から、人間の知性のメカニズム研究を深めることにより進化していく人工知能とその限界、限界を超えるために本書で言われている「生きたい」という欲求からひも解くコンピュータに心を宿らせることができるのかという命題、最後は人工知能は社会と共存できるのかまでを駆け足で語っている。
SONYのAIBOについても言及されているが、AIBOは機能が未成熟のまま発売したが故、命令をうまく聞くことができなかったが、そのバグがあるからこそ、愛されたロボットであったと
『ビジネスで一番、大切なこと 消費者のこころを学ぶ授業』で目にした。
人は機械に心はなくとも、人間は勝手にロボットを擬人化して、心を宿らせてしまうのであろう。AIBOはマーケティング段階において、ロボットとしてでなく、ペットとして売り出し、認知させたからこそ、そのような人びとの反応が起こった。しかし、対外、人は(特に僕は)コンピュータに対して冷たい。過剰処理によりPCの動作が遅いと、感情的にイライラし、すぐにクレームをつけたり買い替えたりしたくなる。しかし、AIBOのようにコンピュータに心を宿らせることはできなくても、心があると認知することでコンピュータとの過ごし方は変わってくるかもしれない。僕個人としても、動きの遅すぎるiPhone3Gが好きになりつつある。
ドラゴンクエスト4で人工知能による勝手なコマンドに対してイラつき、リセットボタンを押すのではなく、その動きも亦楽しからずやと愛せるような人であふれる許容のある社会生まれること、つまりは人びとがコンピュータとフレンドリーに付き合うことができる社会。勝利後に、不敵な笑を浮かべた松原がコンピュータ将棋研究の先に見据えている社会かもしれない。