ごく稀に、年に数回ほどだが、まるで導かれたかのように一冊の本と遭遇することがある。本書の強烈な磁力は、完成されたグラフィック広告のような表紙から発せられていた。
タイトルと写真を見た時の「この女性が!」という驚き。続いて副題の「8・19満州、最後の特攻」を眺める。「満州に特攻隊?」「8月19日って、終戦後のことなのか?」など、次々に湧き上がってくる疑問…
まるで映画のエンディングのようなシーンから本書は始まる。
”「女が乗ってるぞ!」 滑走路を走る飛行機の後部座席に、さらさらと風になびいている長い黒髪が見えたのだ。そしてほどなく群衆は、あの白いワンピース姿の女性も忽然と姿を消したことに気づいたーーー。”
九七式戦闘機に乗っていたのは、ソ連軍戦車に特攻しようとする谷藤徹夫少尉(当時22歳頃)。そして見送りにきていたはずの妻・谷藤朝子(当時24歳頃)が、いつの間にか後部座席に。1945年8月19日の満州における出来事だ。
表紙および、まえがきを数ページめくった段階で、本書は結末の大部分が明らかになる。だが、この結論の早さは、そこに至るまでのプロセスがいかに壮絶かということの表れでもある。なぜ夫婦は特攻することになったのか、 その一点をめがけて、話は一直線に突き進んでいく。
この二人だけにフォーカスを絞って読み進めていけば、本書は仲睦まじき夫婦による純愛の物語だ。きっかけは年上であった朝子からの一目惚れであったという。当時としては珍しく積極的な女性であったようで、二人は念願叶って結婚することになる。
飛行教官になってからの赴任地が満州国であったため二人の生活は離れ離れになってしまうものの、ほどなくして幸運が重なり、朝子を満州に呼ぶことが叶う。結婚してから約9ヶ月の時を経て、ついに新婚生活が始まるのだ。
だが二人が幸せそうであればあるほど、最後に待ち受ける運命は残酷だ。フォーカスをグッと広げてみると、二人の立っている満州という舞台が、太平洋戦争という大きな渦に巻き込まれていく様が見てとれる。
昭和7年から昭和20年までの13年間、現在の中国東北部に存在した日本の傀儡国家、世界の大半の国々が独立国家と認めなかった「幻の国」。この満州国の盛衰には大きな流れがある。それは独断専行から精神主義へというものだ。
満州を事実上、支配していたのが関東軍という組織である。日本陸軍からの独立心も旺盛で専売特許は独断専行、「泣く子も黙る関東軍」の異名をとっていた。だが太平洋戦争が長引くに連れて、南方での戦況は悪化。北方のロシアか、南方のアメリカかという戦争の中心軸が、次第に南へとシフトしてしまう。
南方戦線の惨状は、特攻隊という精神主義の蔓延にもつながっていく。谷藤徹夫にとって最初は遠い存在であった特攻隊であったが、やがては幼馴染みが巻き込まれ、最後は特攻兵を送り出す方へと立場が変わる。日を追うごとに、特攻隊が身近な存在へと迫ってくるのだ。
蜜月の新婚夫婦と日増しに悪化する戦況。この二つの強烈なコントラストがピークに達するのは、1945年の8月9日、ソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して満州に侵攻して以降のことである。ページをめくることが二人の運命を追い込んで行くような気がして、要所要所で思わず手が止まる。
関東軍の国境守備隊はソ連軍との圧倒的な戦力差の前に破壊的な敗北を喫する。しかも信じられないことに、居留民を残したまま撤退してしまうのである。そんな日本人居留民に対して、ソ連兵は虐殺、暴行、略奪とやりたい放題の蛮行を働く。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。谷藤徹夫と谷藤朝子の凄惨なる最期も、この悲劇を偶然目撃したことがきっかけであった。
そして太平洋戦争の敗戦から4日後の1945年8月19日、関東軍の第五練習飛行隊が駐留する南満州の大虎山飛行場に谷藤徹夫を含む11人の将校が集まった。その名を「神州不滅特別攻撃隊」。彼らは軍の降伏命令に背く形で、ソ連軍へ特攻することを決意する。
たとえそれが大きく局面を変えるものではなかったとしても、彼らは居留民の逃避の時間を少しでも稼ぐために、自らの命を犠牲にしようとしたのだ。そしておそらく妻・朝子は「残されて辱めを受けるくらいなら、敵軍に特攻して果てたい」と切実に訴えたものと推察されている。かくして、白いワンピースは大空を舞った。
演繹的に国家や組織としての観点から戦争を論じることは、個の多様性を見損なう。可能なかぎりその多様性に寄り添うため、著者は数少ない証言をパズルのように繋ぎ合わせ、当事者たちへの想像をめぐらせた。その筆致は、お見事のひと言。
だが目的こそ違えど、組織というものに逆らうには、組織の影響を多分に受けた手段を選ぶよりほか、彼らに選択肢は無かったのだ。それが二人の夫婦による、悲しき独断専行と精神主義。この運命のせつなさには、言葉が出ない。
「国敗れて山河なし 生きてかひなき生命なら 死して護国の鬼たらむ」
そんな辞世の句を残して、大空へ旅立とうとするとき、二人の表情は悲壮感に包まれていただろうか。それとも満面の笑みを浮かべていただろうか。
これほどまでに小説であってくれと願いながら読んだノンフィクションは、記憶にない。
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