自分にとって未知となる領域へ踏み出すためには、背中を押してくれる良いメッセージに巡りあえることが重要である。美術のことなど全く門外漢な僕にとっても、本書の冒頭に書かれた「美術館は常設展を見よ!」という主張にはピンとくるものがあった。
多くの人にとって興味を惹かれるであろう期間限定の企画展に比べると、一見マイナーな存在にも思える常設展。この一風変わったスコープの絞り込みが、「今から始めても、まだ間に合うのではないか」という気持ちを呼び起こしてくれる。何といっても僕には「新刊ノンフィクションだけを読め、ビジネス本は読むな」というメッセージによって、大きく道を踏み外した(?)実績があるのだ…
著者によると、一年中開催している常設展なら落ち着いた環境で何度でも作品を鑑賞できるし、体系だった知識を得ることができるのだという。本書で取り上げられているのは、上野にある国立西洋美術館の常設展。14世紀から20世紀までの間に描かれた数多の西洋美術作品を、ナビゲーターさながらに紹介してくれる。
ただし館内の案内表示には逆らって、時代を遡るように見ていくのが本書の特徴だ。現在から過去を眺めていくことにより、歴史の転換点、因果関係、後世へ真に影響を及ぼしたのがどの作品かなど、はっきりと見えてくるという。早くもこの技を駆使して、「すっご〜い、内藤さんて美術にも詳しいんですね」「まあな」などとやり取りしている回想シーンが頭をよぎる。いや、ほっといてくれ。
スタートは、個性の発露が求められ華やかさと混沌を感じさせる20世紀の絵画たち。そしてこの源泉となったものは、前の時代に見い出すことができる。それが19世紀末にフランスで結成された、ナビ派と呼ばれる人たち。「見えるがまま」ではなく「思うがまま」に描くのが特徴で、日本美術における平面性の影響なども強く受けていたという。
時代が前進しているばかりではないことを示唆しているのが、19世紀のラファエル前派。詩人としても知られるロセッティらが活躍したこの時代は、イギリスの産業革命という大きな流れを受け、原点回帰のように自然を注意深く観察することが理想とされた。
時代と美術の呼応は、同時期のフランスにも見ることができる。民衆が蜂起して王政を打破したナポレオン3世の時代。クールベを中心に繰り広げられたのは、既存の価値観が大きくゆらぎ、写実を突き詰めることに新しさを見出す絵画であった。
さらに18世紀の自画像を中心とした時代、17世紀の風景画が確立された時代、ルネサンス期の宗教画の時代へと歴史は駆け上がっていく。世界史の大きな流れの中で、試行錯誤や悪戦苦闘を続けてきた芸術家たち。彼らの作品をつなぎ合わせることで、人間の精神がまるで螺旋階段のように発達してきた様子を見て取れるのだ。
だが、いくら書評を読んでもその本を読んだことにはならないのと同じで、本書を読んだだけでは西洋美術の本質に触れたことにはならない。本書が他の類書と一線を画すのは、強く行動を喚起しようとするその姿勢にある。なんといっても、実地にかかる所要時間はたったの2時間。
そんなわけで念入りに予習を終えた後は、いざ国立西洋美術館へ。ところが行ってみると「ラファエロ展」が開催しており、しかも今週末(※2013/6/2)までとのこと。思わず企画展だけを見て帰ってきてしまったというネタのようなホントの話。常設展示はお家に帰ってきてからアプリで拝見しましたとさ…
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”フェルメールの作品が所蔵されている美術館に赴いてフェルメールの作品を鑑賞する” 本書のテーマはごくシンプルだ。だが分子生物学者の福岡伸一は、光のつぶだちに粒子を見出し、絵にする瞬間の刹那を微分になぞらえ、描かれた人物の関係を動的平衡で説明してみせる。