闇夜を駆け、密かに忍び、大金をせしめて逃げる。
普段、私達は空き巣の稼業など想像もしないだろう。タイトルがあまにりにポップなので侮っていたが、事実は小説よりも奇なり。本書は空き巣家業50年余の著者による体験録である。
著者が犯行におよんだ場所は、滋賀、奈良、三重など実際の現場が登場している。パトカーから逃走した国道42号線、ナンバーを控えられた津市など具体的で、犯行に及んだ出来事はリアリティにあふれる。空き巣にとって午前9時から午後4時は最も安全で稼ぎやすい時間帯だ。地方農家など何軒もハシゴしては荒らす様子を伝えているが、同時にこんな簡単に侵入するのかという怖さも感じる。
著者にはポリシーがあった。悪事はするが、家人を傷つけたり殺害するような極悪非道な行為は絶対にしてはならない、と自分を戒めてきたそうだ。刑務所で知り合った人物など、共犯者として様々な空き巣が登場するのだが、皆個性的で、女性のパンツを必ず盗む助平な空き巣は「おめこ1万回」が夢だし、かたや盗んだ金を「おれなら貯金する」という堅実派もいる。ならばなぜ空き巣をやっている、とツッコミたくもなるが。
空き巣は普段の自己管理を怠ってはいけない。素早く行動しなければならないので、体力維持のためにジョギングもかかせない。腕立て伏せ、足の屈伸、腹筋も日課としており、いつ家人が帰宅するのか、普段でも誰かに見られていないかなど、常に神経を使う仕事なので、心臓に大きく負担がかかる。本書でもパトカー・カーチェイスの様子を伺うことができるが、それ以前に盗難車を走らせている時点から、何度も警察の待ち伏せをくらわないよう常に警戒しなければならない。
どう考えても勘定に合わない職業なのであるが、なぜそこまで続けるのか?
著者によれば、屋内に誰にも発見されることなく侵入した時の陶酔感は、麻薬を打った時のような作用に近いそうなのだ。脳に響く胸の動悸とスリル感、「全て自分のモノ」という高揚感、この稼業を長く続けている者が足を洗えない最大の理由はそこにあるという。
そうして著者は何度も逮捕される。犯罪者の寄せ集めである刑務所では、自らの犯した罪に涙し、心から更生を誓い服従する者もいれば、性懲りなく出所後の悪巧みをする輩もいる。服役中に知り合って意気投合した仲間と再会を約束し、1年先に出所し土方をしながら著者の出所日に迎えにくるような律儀な男もいる(ちなみに前科六犯)。だが多くの空き巣は、人間性を剥奪されるような刑務所での苦しみも、社会復帰すればたちまち忘れ去り、悪事路線を突っ走ってしまうようだ。
ズバリどんな家を狙うのか?空き巣としては、車庫に車がなく、洗濯物が外に干され、廊下にカーテンが引かれている家の80%を留守とみる。泥棒稼業にも定石があり、表がシャッターの場合だと、こじ開けるのに音がするので成功の確率は至って低い。それに比べガラス戸はプロの泥棒にとっては有って無いようなもので、2.3分あれば侵入してしまうそうだ。
私達プロフェッショナルな空き巣にしてみれば、クレセント錠もドライバーを使えば簡単に外せてしまう
これは警察用語で2点三角破りというらしい。全く期待していなかったが、読んでいて防犯の知識を得ることは確かだ。
犯行時の緊張感もそうだが、気を抜く場面もある。食いしん坊の共犯者と侵入すると、その男がホンワカ、いい匂いをさせて鼻歌まじりに焼き飯をつくっていたりする時がある。空き巣の盗み食いは本当に旨いらしく、食パンでさえカステラのように感じるらしい。まして炊いてあるご飯にハム・ニンジン・ケチャップ・コショウをバターで炒め、味付けした焼き飯をほうばる時は、顎が外れるほど旨いそうだ。
現在、著者は足を洗って警備の職についている。興味深いのは足を洗うタイミングだ。著者の人生では何度も更生を促す場面があった。警察も、著者の心を軟らかくほぐし、泥棒稼業に歯止めをかけるようスイッチを切り替える常套手段をしてみたものの、それでも稼業をやめなかった。一度心に染みついてしまった悪の垢は、生半可な努力で洗い流せるものでなく、再び悪事を重ねるようになってしまったのだ。しかし最後の仕事で、ふとしたきっかけからキッパリ足を洗うことになる。そこに本書最大の魅力である―奇妙な人間の性質―を見ることができる。
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江戸時代から伝わる技を磨いた伝説の大泥棒が獄中で書いた日記を、さらに伝説の泥棒と防犯学の専門家が読み解いた泥棒系の名著。