あらためて、「侘び」とは何かと問われると難しい。裏千家十五代の千玄室は、侘びの英語訳として「imperfect beauty」「beauty of imperfection」という表現を用いている。ふつうは完全なものと考えられているヨーロッパ的な美とは対照的に、「不完全であるところに宿る美というものがあるのだ」というのが日本文化の偉大な発見、かつ偉大な創造であった。
本書は、読み物としても楽しめる語り口で茶道全体をコンパクトにまとめ、茶道教養を血の通った認識として実感できる。茶道の心得がある方のみならず、茶道教養の要をおさえておきたい方にもおすすめだ。
茶の湯と禅には何か関係があるらしい、ということは知っている方も多いだろう。茶席で目にする「茶掛」には、まさに禅語の墨蹟が記されている。
放下着 (ほうげじゃく)
勘違いで「下着を放」ってしまう方はいないと思うが、「執着を捨てよ!」という意味で、「着」は「!」のような強意の語だ。失敬とばかりに「下着を放」ってしまってはならない。
喫茶去(きっさこ)
よく茶室に掛かる語で「お茶を飲みましょう」などとお気楽にとらえられがちだが、もっと厳しい意味が込められている。禅では「仏性とは何でしょうか?!」と尋ねた若い僧を師が「喝(カーツ)!」と大きな声で戒め、その瞬間に若い僧に悟りが訪れることがあるという。これもその一変形で、修行僧の質問を突き放して「グダグダ言わずに茶を喫せ!!」と師匠が怒鳴るさまを彷彿とさせる。
茶道にはなぜ作法の異なる多くの流派が存在するのかという疑問も、本書ですっきり解消だ。
そもそも、茶道は武野紹鴎(たけのじょうおう、1502-55)により確立されたとされている。紹鴎の「数寄茶湯」を土台とし、「草庵茶湯」を創始したのが千利休(1522-91)。茶室を俗世間から切り離し精神性の高い別空間とする、頭を下げてくぐらねば入れない躙り口(にじりぐち)や4畳半や2畳といった小間の茶室は、利休の工夫によるものだ。
利休亡きあと、秀吉に茶の湯を託されたのが古田織部(1543-1615)だ。「利休の茶の湯は、辛気臭くていかん」という秀吉の注文を受けてか、織部の茶では茶室の意匠として窓に工夫を凝らし、織部焼に代表される大胆なデザインの道具が用いられるようになる。帛紗(ふくさ)の位置も、千家の左腰に対し脇差を帯刀できるように右腰へと移り、これが織部の系統を汲む藪内流、遠州流、石州流にいまも受けつがれている。
そして、茶の湯の目玉は何といっても名物の鑑賞だろう。本書では茶道の歴史をひもとき、茶器の進化に侘びのコンセプトの変遷を見ることができる。
室町時代、能阿弥は唐物に美観の軸足をおき端正でシンメトリーな美を尊んだ。珠光ではシンメトリーな唐物にひとつかふたつ、ややこれを外れた和物が入る。
利休になるとそれまでの価値観で「疵」とみなしたものを「見どころ」として積極的に評価するようになる。窠(す)のいった象牙作りの茶入れの蓋や真円ではない楽茶碗などの非整形に美を見出していった。
それをもっと強く打ち出したのが古田織部だ。沓型の茶碗や絵皿など、織部はゆがみを強くした意匠を好み、のびやかで大胆な美観を試みていった。いったん強い非整形の美に向かった侘びの美観のその先、整形の美と非整形の美をみごとに調和させたが美の巨人・小掘遠州であった。
さて、この後いよいよ楽茶碗、茶入、茶杓、茶室の鑑賞ポイントに進んでいくわけだが、本書は茶道知識のダイジェスト本であると同時に、すぐれた教養書である点も見逃してはならない。
リスク心理学の第一人者でもある著者が、職業人としてさまざまな決断、迷い、良心の拮抗を経験する中、心の支えになったのが茶道であった。相当の実力や能力の持ち主であっても「直線的な強さ」だけでつねに難局を打開できるとは限らない。そこで助けとなるのが「人格教養」に裏づけられた「多面的な強さ」である。
茶道のみならず、人は何らかの専門性を身につけるプロセスで人格的変化を経験する。人格教養の核は、そうした知識を習得するための修練をした痕跡のようなものだ。教養のある人は、人としてのゆたかさやしなやかさを持ち、困難に遭ってもまわりの人々を慈しみ、豊かな着想をもって柔軟に持ち堪えることができる。
戦場での切り合いや権謀術数に明け暮れた無骨な男たちが、戦乱の表舞台とは対極にある茶の湯の狭い空間で、手のひらに収まる小さな茶道具の鑑賞や収集に血道を上げていたその理由も納得できる。外向的で果断な決断力の持ち主のみが生き残れる殺伐とした世の中にあって、茶道という内向の極致ともいうべき教養は、彼らが心の平衡を辛うじて保ち生きていく術として欠かせなかったのだ。
厳しい環境に身をおく者は、教養とは無縁ではいられない。何らかの道を究めたいと志す方、逆境を乗り切るためのしなやかさや全人格的なリーダーシップを身につけたい方に、ぜひ一読を薦めたい。
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『利休にたずねよ』の作者が、千利休を浮き彫りにした一冊。
建築家が茶室の極小空間の謎に迫る。
稽古茶碗ひとつくらいの費用なら、このような辞典を手元に置いておいたほうがよほど自分の茶が育つ、とは今回の著者岡本氏の談。茶の道も厳しいですな。