近年、どうも「シュール」という言葉自体がひとり歩きしている。
日本語でシュールと聞くと、多くの人が「虚しい」とか「説明し難い」とか「空しい」という感想を持つ。それに伴い、シュルレアリスムは超現実主義などと訳されるので、よけい小難しいものに感じてしまう。
本書では、シュルレアリスムにおける本来の意味を代表的な作品とともに理解できる。登場作家はシュルレアリスムを代表するブルトン、マン・レイ、エルンスト、マグリット、ダリ、瀧口修造などオールスターともいえる。20世紀最大の芸術運動である(この活動自体は現在も続いている)シュルレアリスムを、フルカラーの作品と共に簡単な解説で読み進めることができる。
実はシュルレアリスムは1914年~1918年の第一次世界大戦後、目前の現実に立ち向かうシリアスな環境から生まれている。シュルレアリスト達の作品がユニークなのは、その戦争背景からどういう思想・哲学が生まれたかにある。それまで西欧近代国家は、合理的かつ科学技術至上主義で社会の秩序を謳っていた。しかし若者達にとっては結果は散々で、戦争の災難体験でしかなかった。大戦が終わり復旧を余儀なくされ、社会実情にあわない制度は、彼等にとっては目前の現実がとても「嘘っぽく」映る。やがて理性による、言葉だけの政治と調和を信じない人は新しい世界観を求めた。
そこからシュルレアリストを何を始めたか。シュルレアリストはまず自動記述をはじめた。自動記述というのは、意識や技術の支配を受けず、できるだけ速く文章を書く行為である。できるだけ早く描くことで、彼等は思考から超越した、想像だにしないイメージを降ろせると信じていた。はたから見れば、はてしなく子供っぽい行為に映るだろう。1919年、シュルレアリスムの祖であるブルトンによって創始され、今でも基本原理の一つにまで広がっている。著者は仏文学者・批評家・作家としてシュルレアリスム研究を長く続けてきたため、その考察には信憑性がもてる。
ブルトンの自動記述の提案で、シュルレアリスムは論理と理性に徹底的に対抗した。つまりアートというのは、欧米におけるルールが存在する。その基本が作品の解説文なのだ。つまりコンテクストを攻撃したことになる。
コンテクストを知らない方のため簡単に説明すると、村上隆氏も口をすっぱくして語るように現代アートを鑑賞するにあたっての必須概念である。
【例:現代アートのアニメ作品コンテクスト】
・私の作品は、アメリカ人であるあなた達のせいで生まれました。
・なぜならアメリカは戦争で勝ちました。日本は敗戦後、ぬるま湯国家になってしまった。
・だからマンガやアニメカルチャーはあなた達がもたらした結果なのです。
宗教から独立した美術はコンテクストの知識が必須であり、これを知らないと「なぜこれがアートなの?」「だから現代アートは難しい」という感想になる。
シュルレアリスト達は「コンテクストなんかくそくらえ!」とばかりに、一貫した論理的哲学を最初から避け、思いつくがまま組み立て、展開してきた。オブジェやコラージュ、写真、人体など本書にも作品は多数掲載されているが、子供が単純にオモチャを散らかしたような遊びにも見えるが、一方、執着性の高いダリの筆技法などはクオリティが非常に高い。
シュルレアリスト達はよくグループで活動していたようで、真剣な取り組みはやがて大きなムーブメントとなった。本書でもシュルレアリストの集合写真を見かける。ひときわ美男子で写っているのがサルヴァドール・ダリだ。精神鑑定書つきの異常者なのか、変人のふりをしていたのかはさておき、グニャリと溶けた時計や、木からにょっきりと伸びた腕など、彼の作品が街の大工から上流階級まで注目するほど芸術を身近にしたのは事実だ。
人気の秘密はシンプルである。どれも不可思議な世界だが、それが古典的風景の中に描かれている。下手な画家ならその嘘を見抜けるが、ダリは背景と具体物の境界もきわめて緻密かつ「巧妙」に描いているため、不思議と時空がゆがんだように感じるのだ。
ルネ・マグリットはもっと知的だ。彼は冗談を視覚化させている。鏡に映った自分の後頭部を見つめる男。先端が指になっている靴など、作品は不可思議な情景のものが多い。しかし彼の作品群も、ロココ調の文様などアカデミック様式を忠実に守っているのがわかる。そのため彼のジョークは芸術の域になった。彼の死後、絶大な影響を及ぼすことになったのは広告界だ。マグリットの作品を観れば、広告のほとんどが現実の中に不釣り合いなものを入れるマグリットの作風にそっくりだと気づくだろう。ポスターやコマーシャル、雑誌などのプロモーションは、元をただせばほとんどがマグリットと同じ手法である。
実は、これらの行動は子供でもできる作業だ。ただ、その遊びを大人が人生をかけてやることで、世界中の価値観を覆すことがある。その意味ではシュルレアリスムは芸術の基本を見事に押さえている。根幹にある「遊び」の観点から、実に面白くまとめられた一冊。