採点:★★★★☆
金融工学はもちろん、データを見る」ことと「モデルをつくる」ことの関係を考えることに興味がある人にもおススメ
色んな人をこき下ろすタレブが手放しで賞賛するマンデルブロの研究成果・人生をWSJの記者が一般向けにまとめた内容。巻末の注釈にちょこちょこ数式はあるものの、非常に解かり易くフラクタル理論の概要が伝えられている。しっかりしてみようかなー
禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン (2008/06/06) ベノワ・B・マンデルブロ、リチャード・L・ハドソン 他 |
■あらすじ
リスク(とリターン)が金融市場においてどのような理論を基に扱われてきたのか、また、その理論はどのような人によって、どのような経緯で構築されてきたのかについて振り返ることから本書はスタートする。
最初に登場する人物はポアンカレ予想で有名なあのアンリ・ポアンカレの弟子であるルイ・バシェリエ。バシェリエは個別の債券価格の変動幅が正規分布に従うことを発見し、「投資の理論」にその成果をまとめたものの、格調高いパリ大学では先物取引はおろか空売りなど受け入れられるはずもなく、テニュア(終身教授職)を得るのには非常に苦労している。しかしバシェリエの編み出した理論は、MBAの生徒たちが必ず格闘することになるCAPMや現代ポートフォリオ理論(MPT)、更にはブラック=ショールの公式へと発展し、世界中で幅広く活用されるようになった。
ところが、ノーベル賞も受賞した「美しく」整理された理論に綻びが現れ始めた。LTCMの破綻に象徴されるように、何万年、とくには何百億年に1度あるかないかというような大暴落が何度も市場で観察されたのだ。起こるはずのないことが原因は、現実が間違っているのではない。現実を描写しようとした「モデル」に誤りがあったのだ。その誤りとはどのようなものか、その誤りを乗り越えてどのような「モデル」を作ることができるのか、金融市場を見つめることで見えてきた自然の法則とは何か、天才マンデルブロの研究生活を振り返りながら、世界の複雑さについて考える一冊。
■感想
ワイドショーのコメンテーターが凶悪な犯罪事件が起こるたびにしたがる「因果関係」の解説には子どもの頃から辟易していた。「育て方が悪かった」、「社会が間違った方向へ進んでいる」、「ニュータウンのような人口的な場所には・・・」等など、どれもポパー言うところの反証不可能な説明だと馬鹿にすることは簡単だが、この傾向が全く変わらないところを見ると、このような言説にも一定の需要があるのだ。子どもが親に「何で?」「何で?」と何度も尋ねるように、我々は因果関係や簡単なモデルを求めるように出来ているのではないか。起きたことを起きたまま受け止めようとすると情報量が多すぎるので、簡略化(モデル化)を好むのではないか。起きたことをただ受け止めることについては、なぜ私だけが苦しむのか―現代のヨブ記が出色の出来。マンデルブロは「宇宙人」のようにデータを眺める重要性を説く。
あなたは他の星から来た宇宙人だとします。地球人があちこちに散らかしているチャートを見えどう思うでしょうか。新聞、雑誌、テレビ、そしてインターネットなどに氾濫しているチャートは、きっと大事なものにちがいないと思うことでしょう。これだけたくさんあるわけですから。しかし、それが何を意味するのか、なぜ上に上がったり下がったりするのかは、よくわからないことでしょう。
そこで、注意深く観察します。すぐに二つのことに気づくでしょう。まず、価格の変動が激しいこと、次に、その変動が非常に不規則的だということです。地球の住人は多くの富をこの変動に賭けてエネルギーを得ている一方で、同じくらいたくさんの人々が損失を出して落ち込んでいることを聞くと、謎はますます深まることでしょう。
ブラック=ショールズの公式は、価格変動が正規分布に従うことを前提としている。正規分布を前提とした理由は、データがそのように振舞うからではなく、計算が簡略化でき、「美しい」公式を構築できるからである。現代において自分が活用するモデルの全ての前提を理解することは到底不可能だと思うが、重要な決断をする際には自らが依っている前提を明らかにし、生のデータを見つめることが重要だ。マーケティング調査においても様々な手法があるが、コレスポンデンス分析やクラスター分析の原理をきちんと理解して活用している人は非常に少ないように感じる。
人間の扱える情報量には限りがあるので、どのような学問でもモデル化は必要である。しかし、モデル化は必然的に事実を歪めていることを忘れてはならない。経済学が扱う対象は市場の仕組みのみならず、人間の思惑や行動にも及ぶため、その複雑さは大変なものだ。マンデルブロの紹介するジョークが面白い。
古いジョークですが、技術者と物理学者と経済学者が海で遭難した、という話があります。やっとたどり着いた無人島は砂ばかりで、食べられる物といえば、豆の缶詰が一つだけ。さて、三人はどうするでしょう?技術者は石で缶に穴を開けて豆を取り出そうと言います。物理学者は缶を熱で膨張させ、破裂させようと言います。そして経済学者は考えた末に「まず、我々が缶切りを持っていると仮定しようじゃないか・・・」と、現実を無視したことしか言わなかった、というはなしです。
伝統的な金融理論での仮定を一つひとつ見ていくと、この経済学者の仮定と同じくらい現実からかけ離れています。
金融のデータを見つめる中で発見された「フラクタル」という概念が様々な分野への拡張が可能であり、非常に興味深い。上位2割が全体の8割の利益を生み出しているという話でお馴染みのパレートの法則や、クリス・アンダーセンのロングテール(アップデート版)―「売れない商品」を宝の山に変える新戦略で話題になったスケールフリーの概念も関係してくる。これからの経済学にはこのレベルの数学やコンピューターの知識が必要になるということなのか・・・。池田信夫は世代交代が必要だと述べているが、今の若手はこの分野にどの程度進んでいるんだろうか。ハーバードのMBA達が殺到する業界は既に落ち目だという話を聞いたことがあるが、現在人気がないのならチャンスも大きいかもしれない。