採点:★★★★☆
子育てに悩む人だけでなく、イノベーションを生み出す発想法に興味のある人にもおススメ
本書を読んでいると、大人げない大人になれ!のことを思い出した。赤ちゃんは我々が従来抱いていたイメージ(泣くニンジン)とは大きく異なるものの見方、考えをしている。ある部分では大人と同じであり、ある部分では全く異なる。これまでに聞いたこともないような実験や事例が盛りだくさんで、飽きることなく読了できた。
哲学する赤ちゃん (2010/10) アリソン ゴプニック |
■あらすじ
なぜ赤ちゃんは空想の世界で夢中になって遊ぶことができるのか?彼らは本当にその世界の存在を信じているのか?
様々な研究方法の進歩(赤ちゃんに直接聞くということも含めて)によって、赤ちゃんの見ている世界、考えていることが少しずつ明らかになってきた。空想の世界に浸っているように見える赤ちゃんも実は統計的思考法を活用したり、様々な物事の因果関係を解明したり、科学・哲学しているのだ。
本書を読んでも、子どもを寝かしつける方法、良い学校へ入学させるための勉強法は分からない。しかし、好奇心や他人への共感、愛など、人間とな何かを知るヒントが沢山ある。
■感想
人間の幼児期が他の動物よりも格段に長く、大人に依存することなく生活できるようになるまでには膨大な投資が必要となる。先進国では子どもへの投資が高騰し、少子化が世界的に問題となっている。このように長い幼児期間はなんのために必要となるのだろうか。子どもは大人のでき損ないなのだろか。
著者は子どもには子どもの役割があり、その能力が「世界を変える」可能性があると言う。
子どもと大人の間には、進化的に一種の役割分担ができあがっています。子どもはいわば、ヒトという種の研究開発部門に配属されたアイデアマン。大人は製造販売担当です。子どもは無数のアイデアを提案しますが、実はほとんどのものは使えません。実行可能な案はほんのわずかです。
スティーブ・ジョブスやビル・ゲイツ、FaceBookのザッカーバーグのこどものようなエピソードは山ほど聞いたことがあるが、彼らは赤ちゃんのように世界を捉えているのかもしれない。
Web上のコンテンツ、Googleの検索技術の向上技術に伴い、「検索による瞬時に誰でも手に入る知識には価値がなくなる。」ということが言われ始めて随分経つが、このような物言いには納得できる面と納得できない面がある。確かに誰でも安価に知識にアクセス「できる」環境は整ったかもしれないが、実際にアクセス「する」人はまだまだ限られており、「知識」という一面でも他人との差別化は十分に可能だと思う。また、知識がなければ新たな発想も生まれないようだ。
知識と想像力はまったく別のものとして扱われたり、対立するもののように思われていることすらあります。ですが、因果マップに関する最近の研究はそれとは正反対の事実を示しています。世界の因果構造を理解することと、反事実を思い描くことは表裏一体です。わたしたちの想像を羽ばたかせ、創造性を発揮させている力の源は知識です。複数の出来事のつながりがわかるから、そのつながりを変えたらどうなるかが想像できる。この世界を知っているから別の世界を創造できるのです。
とはいえ、知識も、出来ない理由探しに用いてしまうと想像力を阻害することは間違いない。ルールを知りながら、ルールを変える、破る意思が必要だということだろうか。
赤ちゃんは、大人から見ると無為に遊んでいるだけのときにも様々なことを学習している、学習マシーンなのだ。遊びが学習に繋がるという事実は直感的にも納得できるが、本書ではそれを科学的に裏付ける実験を紹介している。知らないことだらけの赤ちゃんは大人のように集中することができないので、スポットライトではなく、ランタンで世界を照らしているのだ。自分は幼い頃から物事の仕組みや因果関係に対して非常に興味があり、「これ何で?」と親を質問攻めにして困らせていたようだが、これは何も特別なことではないようだ。
実験を通じて物事を深く知ろうという探究心は生まれつき備わっているもので、わたしたちはこの衝動のもとに未知の世界を学習していきます。つねに新しい情報を習得するプログラムが内蔵されている、と言い換えてもいいかもしれません。
オバマ大統領と大統領選を戦った共和党のマケインはベトナム戦争の際に捕虜になっていたときを振り返り、「ニュースや新たな情報に触れられないことが最も辛かった」と語ったそうだ。体に麻痺が残るほどの辛酸な拷問よりも、世の中について知ることができないことは辛いのだ。「なぜ本を読むのですか?」と聞かれたら、「なぜ山に登るのですか?」と聞かれた登山家と同じように答えよう。
本書ではデビット・ヒュームが度々引用されている。なかなか面白そうだが、古典は人に任せているのでどうしようかな・・・