16歳の少年ガレットは、高名な魔術師に弟子入りし、古代ルル語を学んでいる。あるとき、とある村の長老から、人喰い岩と呼ばれる奇妙な古代遺跡を調べてほしいと頼まれ、ガレットは現地に向かう。その遺跡の中に入った者の多くが姿を消し、無事に生還できたのは、長老とその兄だけだったのだ。
ファンタジー? RPG? なぜそんな本がHONZに? そう思うのも無理もないが、もう少し続けさせてほしい。
少年ガレットが長老に習っている古代ルル語のうち、もっとも古い第一古代ルル語は、西の森の妖精たちが神に祈りを捧げるときに使われ、次の5つの言葉しかない。
一つは●●○。次は○●○○●。
あとは、●○○●と、○●●○と、○○●●。
文字は●と○の二つのみ。読み方は不明。意味もまったくわかっていない。
ここまで読んで、勘のいい人はわかったかも知れない。私はまず、2012年6月23日、アラン・チューリングの生誕100年の日にgoogleのロゴが、「0」と「1」が並んだ「googleチューリングマシン」に変わったことを思い出した。実は本書は、少年の冒険物語を読むうちにオートマトンや形式言語の概念が(私のような理系オンチには漠然とだが)自然と理解できるようになっている秀逸な科学本なのだ。
さて、古代遺跡「人喰い岩」の話に戻ろう。
遺跡の中は小部屋に分かれていて、○印のついた扉と●印のついた扉がある。どちらか一方を開けると別の部屋をつながっている。
長老は白→黒→黒→白の順で扉を選ぶと、外への出口のある広間に出て、無事に遺跡から出ることができた。長老の兄は黒→白→白→黒の順で、同じく出口のある広間に出た。
さらにいくつかの条件が加わる。
・長老が選んだ二番目の部屋には壁に人間の目のような絵が書かれていた。
・長老の兄も途中、「目」が書かれた同じ部屋を通っている。
・各部屋の扉は必ず互いに異なる場所に繋がっている。繋がっている先は常に一定で、時間や状況で変わることはない。
・白→黒→白→黒の経路を通った人間は必ず遺跡に「喰われて」外に出られなかった。
長老とガレット少年は、これらの情報から、遺跡の構造を明らかにする。このレビューを読んだ方も図を書いて考えてみてはいかがだろうか?。
これぐらいなら解くことはできたが、章を進むほどに複雑になる。ちなみに、上記の「人喰い岩」は、「第一古代ルル語を受理する有限オートマトン」になっているが、章が進むにつれ、古代ルル語自体、どんどん複雑になっていき(例えば、第八古代ルル語は、「偶数個の○と偶数個の●のみを含む文字列」でできており、第四十七古代ルル語は「最後に必ず○●で終わる文字列」、さらには第百九十九古代クフ語やら、第一古代セティ語やら……)、それに対応するオートマトンが神殿などの構造物として登場、ゲームをプレイするごとく、ガレット少年同様、読み手もそれらの障害をクリアしてゆくことになるのだ。
「有限オートマトンの決定性・非決定性と正則表現」「文脈自由言語とプッシュダウンオートマトン」「文脈依存言語と線形拘束オートマトン」「万能チューリングマシン」「対角線言語と決定不能性」……。実は本書にはそんなことが書かれている(らしい)。しかし、そんなことは気にする必要はない。ガレット少年の冒険譚に浸り、奇妙な屋敷や自動販売機のような不思議な家、「先に入れたものを後に出す」透明な筒、●と○だけでできた詩などの不思議に心躍らせ、頭をひねっているうちにどんどん読み進める。ややこしいところは読み飛ばしても一向にかまわないだろう。
数学科出身の内藤順ならいざ知らず、HONZ内で2番めに数学が苦手な私(栗下直也のおかげでビリではない……はず)が、果たして読了後にオートマトンの概念を理解したのかはまったく自信がない。しかし、自分の中にある、「言語」に関する基本的な考えが相当に揺さぶられたのは間違いない。
本書で魔術師は、意味のわからない古代ルル語を学ぶのは言葉の「真の意味」を知るためと語っている。「どんな文字列が言語における文で、どんな文字列が文ではないかを認識するのに、実はことばの『意味』は関係ない」と。
意味も読み方もわからない古代ルル語に取り組みながら冒険を続けるうちに、読み手は「言語の本質」に近づいていく。本書の帯に、国立情報学研究所の新井紀子教授が書いている。
すべての誤解は
「辞書さえあれば言語の意味なんてわかる」
という思い込みから始まる。
その当たり前だが
受け入れがたい事実を、
本当の意味で教えてくれる本。
著者が本書で作り上げた、物語と理論を対応させ、さまざまな工夫に満ちた構造は実に見事。そのうえ、冒険物語の部分のストーリーも相当に面白い。凝りすぎてもおらず、また陳腐ではない。非常に素直で、著者のまっすぐな気持ち、背筋の伸びるような真面目さや品の良さが伝わってくるのだ。
本書の版元は東京大学出版会であり、読者対象は大学生〜大人とも考えられるが、著者は何より、主人公と同世代の子どもたちに読んでもらいたい、という思いが強いのではないだろうか。魔術師がガレット少年に与えるアドバイスも、学問を志すうえでの基本的な態度、指針そのもの。それも大学の先生である著者からの若い人たちへのメッセージなのだろう。実際私も本書を永久保存版にして、自分の子どもたちが中学生になったらぜひとも読ませたいと考えている。
*著者による本書の正誤表はこちらです。
—————————————-
東京大学数物連携宇宙研究機構機構長の村山斉先生は、小学生のときにこの本を読んで、物理学の面白さに目覚めたそうだ。子どものときに『白と黒のとびら』を読んで、将来、数学や認知科学の研究者になる人が出てきたらいいいなぁ。
帯に文章を寄せている新井紀子先生の本。面白いです。
謎の言語といえば、こちら。成毛眞の面白い本でも取り上げられている。慶応大学の先生が、捏造文書ではなく、一貫性のある構造を持った文書であることを明らかにした。
仮想機械であるチューリングマシンを「現実化」しようとしたフォン・ノイマンをめぐるストーリー。内藤順によるレビューはこちら