またしても、素晴らしい本に出会ってしまった。このコメ作りをめぐるささやかな一冊が、まさかこんなにも生きるヒントに満ちているとは、ぼく自身、思いもしなかった。もし今、自己啓発書やスキルアップ系ビジネス書を読んでいる方がいたら、今すぐそれを閉じ、何よりまず、この本を読むべきである。
まず読者にお願いしたいのは、「なんだ農業の本か」、とこのレビューを読むのを止めないでほしい、ということだ。たしかに本書には稲づくりのことが書かれている。もちろん「食」や「有機農業」に興味のある人も存分に楽しめるが、ぼくは、何よりビジネスマンや起業を目指す若者、何より不確定な未来を自分の頭で考えて生き抜いていこうと考えているすべての人に、この本を読んで欲しいのだ。
著者の松下明弘の名刺には、「仕事・稲作。趣味・稲作。特技・稲作」と書かれているという。稲づくりが好きでたまらず、また中毒になるほど楽しくて仕方がなく、実際それを生業にして生きている。全国で初めて酒米「山田錦」を無農薬で育てた人物であり、通常はありえない、個人農家でありながら新種の稲を発見して育種し、品種登録さえしている、研究機関顔負けの実力者である(そして彼にそれができた理由は、趣味で突然変異や変わった品種を育てる稲の珍種コレクターだったからだ)。
仕事として、徹底して研究しながら稲作りを行い、空いた時間は、趣味としてとことん楽しんで稲づくりをする(もちろん明確な境はないだろう)。日本では他に類を見ない、まさに「日本一の稲オタク」なのだ。
言うまでもなく、ここに彼の「成功」(必ずしも金銭的な成功を指すわけではない)の理由がある。好きであること、楽しむこと、とことんそれをすること。HONZの成毛眞にも通じる哲学である。
松下は、ダンボール製造工場勤務後、海外青年協力隊でエチオピアに行き、帰国後に板金工場へ就職。そして29歳で農業を始める。農家としては遅いスタートだ。
そして、有機農業に取り組む。高邁なエコロジー的思想を持っていたわけではない。化学肥料と農薬を使うタイミングや分量まで国や県が指導する「慣行農業」は、極論すれば(あくまでも極論です)、日本のどの地域でも、誰がやっても同じものが作れる。何も考える必要はない。思考停止の稲作りなのだ。
松下はまったく逆に、それぞれの地域に合った、その地域に特化した稲作りを行うため、「徹底して考える農業」をしたかったのだ。
なぜ雑草は生えるのか? なんのために耕すのか? 肥料を入れないとどうなるのか? 放っておいたら稲は育たないのか? なぜ田植えが必要なのか? 土を育てるってどういうことか? なぜ田んぼに水をはるのか? おいしい米とおいしくない米の違いは何か? どうして病害虫にやられるのか? そもそも土って何なのか……。
印象的な言葉が本書には載っている。まだ農業を始めたばかりの松下が、岐阜県に住む稲づくりを名人を訪ねていったときのこと。名人は「肥料に牛糞を使うことの何が問題か?」と松下に尋ねる。
牛に投与したホルモン剤や抗生物質が堆肥を汚染するからか、といった答えを松下が返すと、名人が答える。
「そりゃ、あるな。でも大切なのはそこじゃない。牛屋さんだって早く処分したいから、牛糞はタダでくれるんだよ。そこが問題だ。タダで手に入りゃあ、自分の田んぼに入れることが正しいのかどうか、誰も考えなくなっちゃうだろ」
ここでも「思考停止」が問題にされるのだ。
松下はたくさんの「なぜ?」を、何重にも繰り返し、その答えを得るため、実験を繰り返す。一斗缶をたくさんもらってきて、そこに田んぼの土を入れる。無肥料から多肥まで、化学肥料は0.5グラムずつ、有機肥料は3グラムずつ量を変え、大量の「一斗缶田んぼ」を作って稲を植えてその育ち具合を調べる。もちろん、実際の田んぼでも、耕耘の深さなどの実験を繰り返すのだ。
そして、彼はその様子を徹底して観察する。観るだけじゃない、五感すべてを使って、稲を状態を感じようとしていると言ってもいいかも知れない。彼は、まるで目に見えるものにつながっている「目に見えないもの」までを見るように感覚を研ぎ澄ませて観察する。その態度は、ゲーテやフンボルトのロマン主義自然科学を思わせる。「松下は芸術家でもある」と、ぼくは思う。そして、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」を思い出してしまう。
その一方で実際の作業は職人的でもある。代かきに長い時間をかけ、田んぼを精緻なまでに水平に均す。水平であることは稲づくりに非常に重要なのだそうだ。わずかな傾斜も許さず、中毒患者のように田んぼを水平にし続ける。ある特定のことに関して、徹底して細部にこだわるのも「できる人」の特徴である。
無農薬でありながら、松下の田んぼでウンカが出たのはこの22年で1回だけだ。地域で大発生して隣の田んぼで半分の稲が枯れたときも、なぜか松下の稲は被害を受けなかった。稲自体の強さもあるだろうが、松下は、その理由を、彼の田んぼの生態系の豊穣さだと考える。ミジンコにイトミミズ、ミミズ、ゲンゴロウにヒメゲンゴロウ、ガムシ、コオイムシにミズスマシ、カエル、カメ……。ツバメやトンボは他の田んぼではなく松下の田んぼの上を飛ぶ(虫が多いのだから当然だろう)。それが発生した年は豊作になると言われるホウネンエビが松下の田だけにジャワジャワと湧き出る。初めてホウネンエビが発生した時、近所の老人は、何十年ぶりに見た、と驚いた。
(私の田んぼは)「決して私一人のものじゃない」
多様性と豊穣さを生み出しつつ、自身は謙虚さを崩さない。その態度に学ぶべきところは多いだろう。
さて、多くの成功者(しつこいが経済的な成功のことだけを指すのではない)同様、松下には何人かの素晴らしいパートナーがいる。
時代に迎合せず、コシがすわっていて、やわらかい甘さの奥にキレがある「喜久酔」という日本酒。松下の山田錦で造られた「喜久酔 松下米40 純米大吟醸」は日本酒好きには知られた銘酒である。
その醸造元の青島酒造の青島秀夫社長は、会社をやめたばかりの若い松下を最初に助けた人物の一人だ。会社を辞めたばかりの松下は、酒米が作りたいと思い、飛び込みで青島酒造を訪ねる。
「明日から専業で米を作ります」
松下の言葉を聞いて、青島社長はこの得体のしれない若者のことを、
「よっぽどのバカが、よっぽどの利口か、どっちかだ」
と思ったそうだ。
青島社長はかつて、美味しい自社ブランドの日本酒で勝負しようと、売上の9割を占めていた大手酒造メーカーへ酒を売る「桶売り」をやめる決断をして、倒産寸前にまで追い込まれたことがある。それでも信念を貫き通した人物だ。若い松下を自分と重ねあわせたか、社内の反対を押し切って、まだ作られていない松下の米を買う約束をする。
「ダメな米でも俺が買う。好きなようにやってみろ。変に小細工して切り抜けようなんて考えるなよ。失敗したって、お前が正しいと思うことをやれ」
加えてこうも言う。
「山田錦は難しいよ。米にできりゃあ御の字だ。でも最初から作りやすい品種を選ぶこともない。失敗したら作りやすいのに変えりゃあいいじゃないか」
松下が初めて作った山田錦の品質は素晴らしいものだった。食糧庁の検査員が見学に訪れ、米を見た青島酒造のベテラン杜氏は「純米大吟醸にしないともったいない」と言った。そして銘酒「喜久酔 松下米40 純米大吟醸」は生まれたのだ。「2年間かけて売りきればいい」と社長は言ったが、発売後2週間ですべて売り切れた。
「山田錦は気難しい品種」と松下は言う。そして「だからこそ夢中になる」と。
そして、松下に新たなパートナーが現れる。日本でファンドマネージャーをやったあと、ウォール街でリスクマネジメントの仕事をしていた青島社長の息子・孝が日本に帰国し、専務に就任したのだ。
松下と同世代の孝は意気投合する。「日本酒を理解するには米を理解する必要がある」そう考えた松下は、孝に自分の田んぼの雑草取りや田植えをやらせる。
驚くのはこの元ファンドマネージャーの変貌である。当初「よく雑草と間違えて稲の苗を抜いて」いた男は、なんと杜氏となり、次第に職人としての感覚を研ぎ澄ませていく。田んぼで育つ稲の姿を見るだけで日本酒のイメージが湧き、収穫した酒米を、計量するために米袋からザルへザーッと流し込むときの音や米のはねる姿、水洗いをしたときの感触だけで、今年の酒の出来がわかるようになったという。
また長くなるので、紹介できないが、さらにもう一人のパートナーといえる、安東米店の長坂潔暁と、松下が生み出した新品種「カミアカリ」誕生のストーリーも実にぐっと来るもの。本書のクライマックスのひとつでもあるので、ぜひ本書を購入して読んでほしいところだ。
たった850円でこれだけ、考えるヒントが詰まった本はまずない。不安定な未来に立ち向かおうとするすべての若者に本書を読んで欲しいと思う。
(文中敬称略)