昭和13年5月21日未明、岡山県の寒村で一人の若者による大量殺人事件が起きた。死者数は、わずか1時間あまりで30人。横溝正史の小説『八つ墓村』のモデルになった事件としても知られるこの事件が、世に言う「津山三十人殺し(津山事件)」である。本書は発生から70年以上経つ今、同事件を再考し、新たな事件像を提示している。
単独犯としては最多の被害者を生んだ「津山三十人殺し」は謎が多い。なぜ、かつて村一番の秀才と言われた犯人・都井睦男(当時22歳)が一時間半の間に同じ村に住み31人もの人間を惨殺したのか。犯人が死に、恨みを買った人間はほぼ全員ころされたため、その真相は長年見えてこなかった。
著者は、ここ十数年、現地に何度も足を運び、米国に保存していた極秘資料を参考に、新たな事件像を浮かびあがらせている。若干、議論の運びが無理やりな印象を受ける箇所もあるが、加害者の親族やターゲットにされながら唯一生き残った女性、そして、津山事件の発生地の今を追っただけでも大きな意味があるだろう。
まず、著者は都井の動機に疑問をなげかける。「津山三十人殺し」の動機は、一般的な見解としては、女性に対する逆恨みが原因と言われる。都井は結核になったことで女性に嫌われ、4人の女性を逆恨みし、対象女性とその家族を刃にかけようとしたとされる。ネタばれになるので詳述は省くが、結論から言うと、このような従来の動機説に加え、祖母と都井の確執が事件の一因にあったのではと著者は指摘する。その根拠になるのが、戦後米国に保管されていた事件の報告書(申請さえすれば誰でも閲覧が可能という)だ。保存されていた資料によれば、戸籍上、祖母と都井が血縁関係がない可能性がきわめて高い。このことにより、祖母思いの都井、孫を気遣う祖母という構図はひっくり返る(実際、都井が一番、最初に殺すのは祖母で、祖母は斧で首を切断されていることからも、祖母への憎しみが感じられる)。
本書の内容に厚みを増させているのは、都井が一番憎んでいたであろう女性(都井が彼女を一番、敵視していたことは、彼女が嫁ぎ先から一時帰省していたときに犯行に及んだことからもわかる)のインタビューに成功している点だ。インタビューの内容自体は特に驚くべき事実があるわけでない。彼女が都井を避けていたことはわかるが、70年も前のことだから記憶も曖昧だろう。むしろ、インタビューの見所は彼女の達観した姿勢だろう。その姿に逆に、この70年の苦悩を感じずにはいられない。
彼女は、上述したように、一時帰省中に都井により、自分が狙われたがために、家族を皆殺しにされた。彼女も被害者だが、彼女のせいで三十人が事件に巻き込まれたとも言える。また、津山事件は、風紀の乱れた村での犯行という見方も当時は根強く、ムラ社会ならではの風評被害もあっただろう。(都井が結核になった後、女性たちが性交を拒んだことが事件の引き金になったとも言われた。著者の調べによれば、格段、この村だけが乱れていたわけではない。)それでも、彼女は事件後、嫁ぎ先に戻り、子供を育て、90歳過ぎの今も元気に生きている。
著者はNHK勤務の後、フリーライター。70数年前の事件を今更という方もいるだろうが、加害者の縁戚関係にある子孫は、結婚が破談になったり、この村の出自のために、差別を受けたりするケースも最近でも無くなっていないという。津山三十人殺しの爪あとは津山の地にまだくっきりと残っているのだ。それこそが、我々が知らなくてはいけない「最後の真相」ではないだろうか。