コレステロール、中性脂肪、高血圧… 毎日を健康的に過ごすための情報は、ネット上や書籍などでも溢れかえっている。そして身の回りの人間に相談すれば、様々なアドバイスを得ることだって出来るだろう。だが、そこで得た膨大な情報の中からどの選択肢を選ぶのがベストなのか、そこに最大の関門が待ち受けている。
かつて医師は権威そのものであった。医師は判断を下し、患者はその決定に従う。仮に望ましくない結果を迎えても、たいがい患者の側は「運命だった」と受け入れざるをえなかった。しかし時は変わり、医療は今まさにデモクラシーの時代を迎えることになる。患者は情報や選択権とともに、結果責任の一端も担うことになったのだ。
医学とはまさに不確実の科学である。答えが一つではないという特徴があるがゆえに医療の問題は、医学の力だけではなく、そこに付随する心理学、認知科学に左右される部分も大きい。情報の解釈・選択の過程で心理学的な罠にミスリードされ、病気そのものより深刻な結果を引き起こすケースだってあるのだ。
著者はハーバード大学の医学部教授。『医者は現場でどう考えるか』を始め、数々の優れた著作を生み出した人物である。本作でのテーマは、最善の選択はいかになされるかというもの。多くの患者における選択のプロセスそのものを診断し、ルポルタージュにまとめている。
決断を下すとき、選択者に大きな影響を与える要素はいくつかある。多くの人にとって行動・価値観が育まれる場ともなる「家族歴」。次いで、過去の医療上の問題にどのように対処してきたかという「既往歴」。最後に、友人、テレビや雑誌で見聞きした話、インターネット上の体験談といった「社会歴」である。
著者は、これら3つの要素に着目し、治療の志向というものを分類する。そのいくつかを紹介してみたい。
◆信じる者と疑う者
「信じる者」は、自分が抱える問題を解決する良い方法がどこかに必ず存在する、という気持ちをもって治療法の選択にあたる。彼らは概ねはっきりした方向性を持っているのが特徴だ。一方「疑う者」は、強い懐疑主義を持って全ての治療オプションを検討する。極めてリスク忌避的であり、薬や医療処置で起こりうる副作用やその限界にも敏感である。
◆最大限主義者と最小限主義者
ある人は自分の健康管理に関して積極的に手を打つことを求める。こういう人は「ほとんどの場合、多ければ多いほど望ましい」という信条を持つ「最大限主義者」だ。それに対して「最小限主義者」の人々は、できる限り、治療を避けようとする。どうしても治療が必要となった場合でも、少ない種類の薬を最小限の量で飲んだり、最も控えめな手術あるいは処置を受けることを選ぶ
◆自然志向と技術志向
研究によれば、米国人の約60%がいわゆる代替医療や自然療法に頼っているという。これは「自然主義志向」、すなわち適切に環境を整えて、心と体のつながりを利用し、ハーブやビタミンなどの自然の産物を補えば、体はしばしば自力で治癒するという考えである。その対極にあるのが「技術志向」で、新しい薬や革新的な治療法を生み出す最先端の研究にこそ答えがあるという信念を指す。
自分の考え方がどのカテゴリーににあてはまるのかを検討し、判断を歪める隠れた影響のことまで考え、熟考のプロセスへと至ることが大切なのだと著者は言う。また、こうした決断を下すとき、他人の個人的な経験を聞くことが最も有用であるという話も紹介されている。
そこで鍵となってくるのが、いかに自分と似たような境遇の人を見つけられるかということである。サンプル数は少なくても、「気持ちを同じくする者」こそが求められるものであり、自分自身を映す鏡の役割も果たしてくれるのだ。
本書では数多くのケースが紹介されているのだが、話の順番も含め、読み手を引き込みやすくするために、非常に丁寧に作り込まれている印象を受ける。高コレステロールや軽度の高血圧といった、定期検診でよく見つかるような問題に関する決断の話から始まり、最後には命そのものが崖っぷちの状態で決断がすぐになされなければならない場合や、決断が家族や医師に委ねられなければならない状況にまで及ぶ。
全編を通してジレンマの連続なのだが、その極みは「生きてこそ」という思いと、「それで幸せか」という問いとの狭間にある。また、各々の物語の主人公を通して、自分自身の心の中を覗いているような気分になり、まさに他人の経験談の影響力を実感することにもなった。
健康への向き合い方は、人それぞれだし、時々刻々と変わっていくものである。それだけに、各人の状況に応じた様々な読み味が内包されていることだろう。患者側の視点に立ち、我が事として読むのも興味深いし、医者側の立場に立ってビジネスにおいて顧客とどう向き合うかとして読んでも面白い。個人的には、人間ドックの検査結果をじっくり眺めてから読み始めるのがおすすめ。