「絶望工場」と聞き、多くの人が思い浮かべるのは鎌田慧氏の『自動車絶望工場』だろう。愛知県のトヨタ自動車の工場に期間工として半年間潜入し、書かれたルポである。1973年の作品だ。当時、鎌田氏が描いたのは、工場内の自動化や合理化を進める企業とそこで疎外される労働者の姿だった。それから40年。今や世界の工場となった中国でも日本とは異なる形で「絶望」が生まれている。
昨年、中国で吹き荒れた反日デモで中心となったのが「第二代農民工」と呼ばれる人びとだ。都市への出稼ぎ農民の子供たち世代であり、彼ら自身も多くが農村戸籍でありながら都市部の工場で働く。「第二代農民工」に共通するのは親世代ほど、仕事や貯蓄に熱心ではない点。残業などを控え、カラオケや服、スマートフォンなどに享楽的に消費する。工場での給与も決して安くはなく、経済的豊かさも享受している面もあるが仕事に打ち込むことはない。
性別や勤務内容はさまざまだが、彼らの間には「諦め」に似た空気が通呈する。中国の都市部には我々日本人には見えにくい身分社会が未だに存在するからだ。彼らは戸籍管理が厳しい都市では農民工であり、手厚い福祉を受けられる都市民にはなれない。都市民に蔑まれているのが現実だ。がむしゃらに働き続けても、将来に希望を抱くことが許されない。工場内のみならず、生活空間ですら同じ人間に疎外され続けているのが21世紀の中国の「絶望工場」の実態だ。本書では「第二代農民工」への多くのインタビューを通じ中国が抱える矛盾を体現する彼らの苦悩を浮き彫りしている。
表紙やタイトルの重々しさから救いようのないルポ物を想像してしまうかもしれない。確かに本文どころか行間にも絶望が満ち溢れているのだが、本書は第二代農民工世代とどう向き合っていくかの視点もあり、かすかだが希望の光も示す。「まえがき」を読むと、「当初は中国在住の日本人ビジネスマンが工場のワーカーや従業員の主流である第二代農民工世代といかに付き合うか、みたいなノウハウ本を、今までの蓄積も利用して、さらっと書くつもりだった」と、それこそ、さらっと書いてある(結果的に一般向けのルポものになったので大きな軌道修正である)。そのため、労使問題の専門家である中国人弁護士や現地の大学の教授、日系企業の工場の管理者などへも積極的に取材しており、「第二代農民工」を結果的だが、多角的に見ることにつながる。
日系企業に限らず中国に進出した海外企業とって懸案事項はストライキである。「第二代農民工」の抱く「絶望」が形になるのがストであり、実際、2010年以降は大小を問わずストが続発している。日系企業でのストも目立つ。HONZ読者の中には、「日系企業は給料良いのにわがままばかりいってるんじゃねーぞ。反日に便乗してるんじゃねーぞ」とお怒りになる方もいるかもしれない。反日に便乗した動きはあるが、現地の労働事情は我々が想起するものとは少し違うようだ。
現地の大学関係者は日系企業でストライキが起きる原因を欧米系に比べて、管理職の中国人登用が少ないなどの経営の現地化の遅れに加えて、「厳しすぎる労務管理」のわりには「給料が良くない」ことがあると指摘する。実際、日系企業の関係者も現地でドイツ系企業を視察した際に工員の動きが自社に比べて緩慢で清掃も雑と感じたが、業績も給与もドイツ系企業の方がよく、中国人の工員が「日本企業を嫌がるのもわかるなあ」と納得している。日本企業で働く動機付けが見出しにくいのだ。
著者によると第二代農民工世代が特に重視するのは、管理が厳しくないか、快適かという点。日系企業の整理、整頓、清掃、清潔、躾の5Sの愚直なまでの追及は彼らにとってはストレス以外の何物でもなく耐えがたい作業という。賃金の払いが良くても、管理が厳しい職場は敬遠する若者が多いのが実情だ。未来に希望が抱けないからか、小皇帝として大切に育てられたかは知らないが、束の間の自由を求める姿は切ないが。
とはいえ、日本流の労務管理や経営手法が中国では通じないというわけではない。ストライキが起きない日系工場をのぞくと、そこには日本よりも日本らしい姿を見つけることが出来る。毎月お誕生会を開いたり、カラオケ大会や運動会、映画鑑賞会、慰安旅行を実施したり。工場内の恋愛も推奨する。カネよりも自由や快適さを求める出稼ぎ農民を手なずける有効な対応策が、日本では見なくなりつつある暑苦しいほどの家族的経営というのは興味深い。
著者は産経新聞の元記者。中国への赴任経験も長い。本書の最後で著者は「絶望工場」を「希望工場」に変えられるのは組織に徒弟的で家族的な土壌がある日本かもと投げかける。個人的には「変わりません」と思うし、いろいろと思うこともあるが、政治色抜きにして「第二代農民工」の素顔や、日本の新聞やテレビでは報道されにくい中国の生産現場の息遣いを知るには面白い一冊。余談だが、日系企業だけでなく、米アップル製品の組み立て受託で有名なフォックスコンの内情にも1章を割いて言及している。
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