近代以前、国家運営のコストは極めて抑えられていた。もちろん警察も例外ではなく、末端警察官は薄給にあえぎ、膨大な仕事に翻弄されていたという。
本書は、和洋を問わず、まずはそんな警察官たちの実態が語られる。江戸時代、薄給の下級官吏たる同心は、膨大な業務をこなすため、時代劇でおなじみの「目明し」や「岡っ引き」を雇う。薄給の同心が払える額はたかが知れているので、「目明かし」たちはほぼ無給、じゃあなんで稼いでいたか、というと、犯罪被害者から「引き合いをつけて抜く」。被害者として奉行所に出向くと様々な事務手続きやら経費やらが生じる。盗まれた上、手間と出費を強いられるのはたまらないので、目明かしに「袖の下」を渡し、見逃してもらうのだ。「目明かし」せっせと盗人を捕まえ、江戸市民たちから「抜き」まくって稼ぐ。当然、蛇蝎のごとく嫌われていたという。
中世ウィーンも似たようなもので、ウィーン市警備隊の面々は薄給に加え、30ヶ月の遅配、となるともう副業で稼ぐしかない。密造酒と売春をセットにした兵舎酒場や武器庫酒場は、逮捕される心配もないから大繁盛。近隣の農家が農作物を卸すために市門をくぐるときには、市門を監視している警備隊が作物を買い叩き(応じなければ市内に入れない)、市内の商人よりも格安で売るので、民業は大いに圧迫され、市内の商人たちにも嫌われる。
薄給や無給じゃ、もちろんいい人材など集まる訳もない。イギリスの夜警巡査は「まぬけ」の代名詞。「目明かし」やイギリスの治安判事に私的に雇われたシーフテイカーは、犯罪者まがいの胡散臭い連中だらけだった。
もう一つ、警察の源流には「都市の自治における市民の義務」というのがある。市民と言っても、現在使っているような意味ではなく、自治権を持つ都市を治める特権階級のこと。その特権と引き換えに都市を守る義務がある、というわけだ。
しかし、今も昔も人は堕す。防衛意識の低い裕福な市民が増えると、彼らは「市中見回りの義務」をサボりたくなり、人を雇って代わりにやらせる。そうやって傭兵的な警察部隊が生まれ、市民たちは治安維持権をみすみす手放してゆくのだ。
そんな歴史的エピソードのひとつひとつが興味深いのだが、それらのエピソードが連関して、大きな視点で語られる歴史の「因果性」こそが、本書の白眉だろう。例えば、こんなふう。
交通の要所に自然発生的に交易所ができる→それが恒久化されると大量の商品を窃盗や略奪から守るための防衛施設と取引をめぐる諍いをおさめる裁判施設が必要になる→市場を運営する商人たちが、領主に金を払って都市防衛や市場裁判の権利をもらう→中世ヨーロッパの都市が成立→市が栄えると家は密集し、不潔になり、ペストが蔓延する→対策のため、衛生や火災など、市当局は、生活そのものに干渉し、大量の規制が生まれる→警察機構が強化される。
さらに、自治権を獲得して警察機構を整備していった都市と、その自治権を奪い、警察権を手中に収めて支配下に置こうとする王権の熾烈な争い、王権による警察権の掌握による絶対主義の警察国家誕生、それが密告社会に堕し、革命、反動、そして近代警察の誕生まで、まったく退屈させられることなく、語られてゆくのだ。
注目すべきは、著者が警察機構や警察の歴史の専門家、それどころか歴史学の専門家でさえないということ。ゆえに著者は専門家が書いた本を中心に、多数の文献の内容を紹介しつつ、話を進める。いうなれば、さまざまな本を地図にして、博識かつ語りの巧みなガイドとともに「警察の歴史」をめぐる旅に出る、という感じ。紹介される本をことごとく読みたくなってしまう。
著者が相当な読書家であることは、引用される本のタイトルを見ただけでわかる。ドイツ語で書かれた専門書から大衆小説まで、まさに自由自在。特に最終章の冒頭でいきなり山田風太郎の『警視庁草紙』が紹介されたのには驚くと同時に、個人的にはなによりぐっと来た。あの不思議な伝奇小説を、ドイツ語で書かれた『警察の歴史』やら『警察と技術』やらの専門書と同等に読む、柔軟な知性の持ち主の本が面白くないわけがない、と納得した次第だ。
追伸。
本書で少しだけ語られた、ハプスブルグ家ルドルフ四世の破天荒なエピソードが相当に面白かったので、ルドルフの生涯を描いた同じ著者の『ハプスブルグを作った男』を思わず購入。いずれ感想を書きます。
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