菊池 良生
集英社新書 (2010/12/17)
警察が、司法と分離している必然性はない。
過去には捕まえた時点でその人を裁く事が出来た時代もあった。恐ろしい話だ。
中世ゲルマンは最も恐ろしい。正々堂々と闘いを挑んで殺した分には「障害致死罪」であった。
自分を守るのは自分、極めてシンプルである。警察は、体制の転覆を防ぐ公安でしかなかった。
そこから見たら、むしろ現代の警察が奇跡である。警察はなぜ、「お巡りさん」をするようになったのだろうか?
本書は警察の歴史を紹介しつつ、古代ローマ、中世・近代のウィーン・パリ・ロンドンの生活等を描く。それは外敵との闘いの歴史でもあるし、自治都市と王族の闘いの歴史でもあるし、ペストとの闘いの歴史でもある。パリって汚かったんですねえ。そして、外敵と戦うためには警察が必要なのであった。集団で戦えるよう、内部の組織を整えるのだ。
個人の自衛から城塞都市全体での治安維持、そして近代国家としての治安維持と、組織の単位が大きくなるにつれて警察の機能は変化した。そして、お巡りさんが登場する。国家としての攻撃力を追求する時代になって、国内においてお巡りさんが出てくる。ちょっと逆説的だ。
警察を組織維持の方策と思えば、本書は、会社の組織についての示唆も与える。最初は機能した組織が、数百年後に如何に堕落するか。そんなもんですよね、人間だもの。一方で、犯罪者が警察に抜擢されて大活躍したりする。世界で最初の私立探偵は、そういう人らしい。イギリスとフランスの意地の張合いもおもしろい。
ネットの世界にも示唆を与える。ネットの世界も、個人から都市、国家のように大きくなっていくのだろうか。facebookなどのSNSは城塞都市と見ることもできるだろう。ゲートで業者に課金するのも同じだ。
それから、街灯の普及の早さについて読んで思ったのだけれど、警察の歴史も、技術の進歩に影響されている。剣から銃と発展するに従い、武器を持つ人と持たない人の格差が広がっていく。それがシステムに影響する。
これからは、情報が「新しい武器」になる時代が来るのだろうか。その時は、個人が主役になるのだろうか。それとも監視社会が来るのか。両方か?
江戸と明治の警察の話は面白かった。
維新の時は江戸にお金をばらまいて治安維持を図った、と『氷川清話』に書かれていたのを思い出す。倒れる幕府の側で駆け回る人、新政府の側で廃藩置県をテコに警視庁を作ろうとする人、なんだかRPGみたいだ。一般人はどんな感じだったのだろう。
著者は明治大学理工学部教授、専攻はオーストリア文学で、著書に『パプスブルグ帝国の情報メディア革命』など。警察とメディアの関係も深そうである。アマゾンで「フーコー 警察」などと入れたら、こちらの本が出てきた。どちらもまだ読んでいない。いつか、またの機会に。。