ツール・ド・モンブランという、山好きにはよく知られたトレッキングルートがある。シャモニーからシャモニーまで、約100マイル(168キロ)、累積標高差9400メートルという、いささか厳しいが、すばらしい景色のコースである。通常なら一週間ほどかけて一周するルートであるが、なんと、それを一気に駆け抜ける『ウルトラトレイル・デュ・モンブラン(UTMB)』という、聞いただけで恐ろしい競技がある。
その競技に命を懸ける男、鏑木毅の本だ。箱根駅伝をめざして早稲田大学競争部にはいった鏑木であるが、故障のため断念。群馬県庁の公務員としてふたたび走りはじめ、『山のマラソン』にのめり込んでいく。そして、公務員をやめ、プロのランナーとして最後に到達したのがUTMBだ。
UTMBとなると、スケールが大きすぎて、その過酷さすらピンとこない。が、富士登山競争における鏑木の記録を見れば、その速さが実感できる。富士浅間神社から吉田口登山道を登る高低差約3000メートル、21キロのレースで、鏑木は三回優勝している。最高タイムは2時間47分57秒。超人である。
鏑木によると、ただひたすらに走るランニングと、トレイルランは根本的に違うという。トレイルランではルートのいろいろな変化によって体全体の使い方を変えていくことが重要で、決して若さが有利ということにはならないという。実際、鏑木が尊敬するイタリア人選手、マルコ・オルモは、58歳、59歳でUTMB連覇したというのだから恐れ入る。鏑木は現在44歳。もちろん現役のトップランナーだ。
“神秘的な大地を行く壮大な旅-7つの谷、71の氷河、400の山頂-モンブラン山峰があなたを魅了する” というキャッチフレーズのUTMB。景色はいいかもしれないが、『過酷』という言葉がいくらあってもたりないくらい壮絶なコースである。2009年、鏑木はそのコースを22時間台で駆け抜け、3位に入賞する。
ただ走るだけの人ではない。『自然を大舞台にして展開する100マイルレースには、人を感動させる何かが、そして人生を変える何かがあります』という鏑木は、日本でも100マイルレースをと考え、数々の困難を乗り越えて『ウルトラトレイル・マウントフジ』を成功させる。UTMBで鍛えた精神には不可能などないとでもいうかのように。
2011年のUTMBは、アキレス腱に故障をかかえた鏑木にとって、壮絶なものであった。体力は限界を超え、死んでしまうかもしれないという思いが頭をよぎる。そして、自らを傷つければ楽になるかもしれないとまで思い詰める。
“あの先の崖から飛び降りて、大けがでもすれば、仕方ないと思ってくれるだろう”
しかし、そのときに鏑木を助けたのは
“カブラキツヨシたれ”
という思いであった。そして9位にはいる。かっこよすぎる…
決して強い人間ではないという鏑木。そして多くの挫折を乗り越えてきたその鏑木が『奇跡はおこるものです』と書くと、究極までがんばると、ほんとうに奇跡はおこるものなのかと思えてしまう。
人間というのは、ほんとうにすごい生き物だ。