音楽ソフト(CD、DVDなど)の売り上げ低下、アイドルたちに独占されるヒットチャート、若者の音楽離れ。音楽業界には悲観的なニュースが飛び交っている。日本ではもう新たな音楽は生まれていないのか、ぶつける先のない思いを音に託す若者はいなくなったのか。もちろん、そんなはずはない。
著者である都築響一は、今いちばん刺激的な音楽は地方から発信されているという。大手レコード会社やマスメディアの集まる東京から遠く離れたストリートで、自らが生まれ育った街にとどまり、刺激的なビートにリアルな言葉を乗せているラッパー達がいるという。
彼らはどのような人生を歩み、どのようにヒップホップと出会い、なぜ今でも地方でラップを続けているのか。著者は、札幌、山梨や京都など全国各地に赴く。599ページにわたる本書には、15名のラッパーたちへのインタビューとともに、彼らのリリック(詩)が多数掲載されている。彼らが住む街、ライブシーンの写真も印象的だ。本書の特設Webサイトでこの本に掲載されている彼らの楽曲の一部を聞くことができるので、音に身を任せながら本書を読み進めてほしい。
本書に登場する15名のラッパーは2つの世代に分けることができる。まず、1971年生まれのTwiGy、ILL-BOSTINO(THA BLUE HERB)らの世代である。彼らは、1979年に発表されたシュガー・ギャングの「ラッパーズ・ディライト」から始まったと言われるラップ・ミュージックが日本に飛び火してきた80年代に青春を過ごしている。ある者は先輩に連れられて行ったクラブで、ある者は風見しんごのブレイクダンスをきっかけに、アメリカ若者文化としてのヒップホップと出会い、衝撃を受けたという。この世代のラッパーたちが、その衝撃を自分たちの言葉として咀嚼する中で日本語ラップの基礎を築いていった(いとうせいこうや佐野元春らも先進的取り組みを行っている)。
もう1つの世代が、1978年生まれのTOKONA-X、RUMIらの世代である。71年世代が作り出す音楽に間近で触れていた彼らにとって、日本語でラップすることはそれほど違和感のある行為ではなかっただろう。本書には、ヒップホップが日本でもメジャーなものとして浸透した後の、1980年代後半生まれのラッパーたちも登場している。
このような世代論で彼らをまとめることはできなくもないのだが、一人ひとりのインタビューから見えてくる家庭環境や音楽観、リリックに込める思いはまるでバラバラだ。共通点といえば、教室に朝から夕方までじっと座っていられるような優等生ではなかった、ということくらい。ドラッグや喧嘩の果ての監獄という典型的ラッパーイメージを地で行くものもいれば、学校に行くこともできず、部屋に閉じこもって孤独に震えていたものもいる。それほど多様な若者を包み込むまでに、ヒップホップの範囲は広がっているのだ。
皆がそれぞれの人生を、それぞれのラップで表現している。そこには誰かから借りてきた言葉も、辞書から無理やり見つけてきたような難解な慣用句もない。むき出しの思いが、逃げ出したくなるような現実が、リズムに乗せられている。これは、現代日本の精神構造に大きな影響を与え、独自のファッションや行動様式を生み出しながらも独自の音楽体系を持たなかったヤンキー文化がついに生み出した、リアルなストリート・ミュージックであると著者は言う。
本書で取り上げられるラッパー達は、ヒップホップに人生を救われている。何をやっても長続きせず、周りと歩調を合わせることもできず、それでも溢れ出すエネルギーに突き動かされて道を踏み外したものも多い。そんな中かでも一際激しい人生を歩んできたラッパーがいる。北海道で一から日本語ラップに取り組んでいたB.I.G JOEだ。彼は、あれよあれよと言う間にドラッグの運び屋となり、香港からオーストラリアへ6キロものヘロインを運んだ際に、シドニーの空港であっけなく捕まってしまう。
言葉の通じないオーストラリアでの6年間に及ぶ服役生活で、彼を支えたのがヒップホップだった。未来の見えない刑務所の中で彼はリリックを書き続けた、そして、日本にいる音楽仲間への電話越しにラップを繰り出し続けた。刑務所に入って2年後には、獄中からフルアルバムを発表している。自分のアルバムが取り上げられた記事を日本から取り寄せ、更正設備として録音スタジオのある刑務所への移監を訴えた。
これが俺の未来なんです。音楽を学べれば、僕はもうドラッグを売らなくて済むんだ
音楽業界全体を覆う現状と同様に、地方で活動を続けるラッパーの経済状態も芳しいものとは言い難い。1989年生まれ、東京出身のZONE THE DARKNESSは現在、定職につき朝8時から夕方5時まで週6日働いている。彼は、音楽での大きな成功を目指していないわけではないだろうが、この「普通の生活」を嫌悪しているわけでもない。彼にとってのラップは、成功のための手段ではなく、それ自体が目的なのだ。
普通に暮らすことがいちばん大変だし、でもそれがいちばん幸せな気がします。(略)普通の生活をして、普通のひとの目線で、普通の気持ちじゃないと、普通のひとに届かないって思うんですよね。
自分の強さや成功、更には過去の悪行を高らかにうたいあげる、ダボダボのズボンとベースボールキャップを身にまとう、というヒップホップの枠はどんどんと取り払われ始めている。「持たざるもの」によって生みだされる芸術の中でも、マイクだけで、自分の言葉だけで始められるラップは、本来すべての人に開かれているのかもしれない。気軽に始められる分すぐに辞めてしまうものも多いというが、ラップをすることでしか、思いを言葉にすることでしか生きていけない人間が確かにいる。本書には、そんなラッパーの押さえ切れない思いが、地方を取り巻く現実が、リアルな言葉で切り取られている。ヒップホップやラップを敬遠してきた人にこそ読んでもらいたい。
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ラッパーたちはどのようにリリックをつくりだしているのか。RHYMESTER宇多丸、ZEEBRAやいとうせいこうなど、日本語ラップの黎明期にその基礎をつくりあげてきたラッパーたちを中心としたインタビュー集。「韻を踏む」と一言にいってもそこには多くの方法論、スキルがある。ラップが生み出される仕組みに触れられる一冊。
本書のインタビューイー達の中でも一際強烈なインパクトを放つ、B.I.G JOEの自伝。異国の刑務所に流れ着くまで、そして獄中での創作活動などが明らかにされる。KINDLE版も出ている。
『ヒップホップの詩人たち』は『新潮』での連載「夜露死苦現代詩2.0」をまとめられたものである。こちらはその前作であり、この一冊には通常は文学とは見なされることのない街に溢れる言葉が拾い集められている。