星飛雄馬がインド人になる。しかも、野球の世界で「巨人の星」を目指すのではなく、舞台をクリケットに移し「インドの英雄」を目指す
そんなニュースが報道されたのは、今から一年くらい前のことだろうか。
そして年も押し迫った、昨年末の12月23日。TVアニメシリーズ・インド版『巨人の星』は、『スーラジ ザ・ライジングスター』というタイトルで放映をスタートした。だが驚くべきことに、一年前に報道された時には、インドにおける放映について何もかもが白紙に近い状態であったのだという。
本書は、インド版『巨人の星』誕生の仕掛け人が、構想から第一話放映実現までのプロセスを綴った一冊である。著者は講談社で『フライデー』『週刊現代』『クーリエ・ジャポン』などの編集に携わった人物。休暇でインドを訪れ、かつて学生時代に貧乏旅行をした時の「インドで新しいことをやりたい」という思いが蘇ってきたところから話は始まる。
彼の目には、インドが高度経済成長期の日本を追い、同時に、豊かさを求めた日本が抱えた苦悩をもなぞっているように見えた。その証拠に、インドでは日本の70年代のドラマのような雰囲気を持つ作品ばかりが、受け入れられていたのだ。
具体的には、友情や家族愛など”濃い人間関係”を描いた作品などである。かつての日本のように、「夢」を求めて必死で生きている姿が共感を呼んでいるのだ。この事実を手がかりに著者は、当時の日本人を熱くした作品をインドに持ち込めばヒットするに違いないと確信する。
もう一つのきっかけとなったのが、インドにおける異常なまでのクリケット人気である。「野球の原型」とも言われるように、プレースタイルやルールは野球に酷似している。そしてブラジルやイギリス、イタリアといった国におけるサッカー以上の人気を誇るのである。
さらに選手の年俸も高く、スター選手を揃えるコルカタ・ナイトライダーズの選手は、平均年収が約420万ドル(約3億4000万円)にまで及ぶ。そんなインド版アメリカンドリームを夢見て、スラムでクリケットに熱中する子どもたち。その情景が、かつて野球小僧としてならした自分自身の姿と重なり合う。
この二つの思いが化学反応を起こして生まれたのが、クリケット版『巨人の星』というアイディアであった。たしかに、これまでもインドでは、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』といった日本アニメは人気が高かった。だが、既にある作品を売るだけならまだしも、完全にリメイクするということは、新しい作品を作るのと同じくらいの難しさが存在する。
具体的なアクションは、思いを口にするというシンプルなことから始まった。だが、それがきっかけで著者は、後に重要なパートナーとなる一人の広告会社の人間と出会うことになる。著者とまったく同じ1964年生まれ。同じく小さい頃に『巨人の星』を見て育った世代。そんな彼もまた、「高度経済成長期の日本とインドが似ている」ことからクリケット版『巨人の星』を夢想し、周囲の人たちに話していたのだ。
かくしてプロジェクトは動き出す。だが、二人の前に立ちはだかったのは、ハードルだらけであった。原作=梶原一騎、漫画=川崎のぼるという、偉大なコンビはそれを認めてくれるのか?また、もう一方の重大な問題として、インドのテレビではこうしたアニメを放映するのは可能なことなのか?制作資金はどのように工面して、アニメ制作はどのように進めていくのか?それが完成したとして、はたしてインド人に受け入れられるのか?
どちらを向いても、”ニワトリが先か、卵が先か”に近いジレンマが存在するのだ。たとえばスポンサーを決めてから制作するのか、制作してからスポンサーを決めるのかといったことも、曖昧なまま進めざるを得ない。原作者の許可をもらってからインドのテレビ局を決めるのか、テレビ局を決め込んでから許可をもらうのかということも同様である。要はすべてが綱渡りなのだ。
そこで彼らが打った手が、冒頭で引用した先行報道というものであった。インドでの放映に関して、決定していることはほとんどない状態でありながらも、「放映を目指している」こと自体を報道してもらうという手段に打ってでたのである。これはまさしく「奇手」であった。
結果は吉と出る。ここから『ライジングスター』に関する報道が一気に増えていったことで、状況は大きく動き出していくのだ。彼らはやはりマスコミ人であるがゆえに、情報の出し入れが上手い。本書では、その後の実制作の過程における、いわゆる美味しいネタもあちこちに散りばめられている。ここが使いどころと指示されているようで悔しいのだが、いくつか紹介してみる。
まず、星飛雄馬の代名詞とも言える「大リーグボール養成ギプス」。これがインドのテレビ倫理規定に引っかかってしまう。大リーグボール養成ギプスを着けてこその星飛雄馬なのだが、あのギプスは虐待の拘束具のようにも映るという指摘が入るのだ。そこで現地スタッフが考案し、描いたのが「自転車の廃チューブ」を利用するというもの。バネの代わりにチューブを使っても、身体の自由はきかなくなり、それでいてトレーニング効果がありそうなものに感じさせることができるのだ。
また、有名な星一徹がちゃぶ台をひっくり返す場面。これも現地の事情により、そのまま再現ができなかった。ちゃぶ台をひっくり返すシーンに関しては、食べ物が粗末に扱われることになるので、アニメで描くことが許されないのだ。テレビ局との話し合いの中で生まれたのは、ちゃぶ台に代えてサイドテーブルの飲み物をひっくり返すというもの。本編では飲み物の入ったグラスが華麗に宙を舞っている。
さらに星飛雄馬と花形満のライバル関係を構築するにあたっては、インドの神話的叙事詩『マハーバーラタ』を参考にしたという逸話も披露されている。『巨人の星』の中に『マハーバーラタ』を融合させた物語が、『ライジングスター』とも言えるのだ。この他にも、お酒とお色気の「取り扱い事情」、貧富の差やカーストを意識させる表現の回避など、インドならではのお国事情が次々に登場する。
結果的に、著者たちが選択したリメイクという手法が、完全に功を奏しているという印象だ。先進国で流行ったものが、そのまま新興国で通用するほど甘くはない。インド人に受け入れられるインドカレーを作るには、やはり、現地の人に協力してもらう必要があるのだ。新興国の事情にあわせて一から作り直していくというのは、今風に言えば、リバース・イノベーションの事例の一つとも言えるだろう。
登場人物の設定や、世界観といった物語の根幹は日本側で設定し、感性や音など、右脳に作用する部分については、原則的にインドのスタッフに主導してもらう。このやり方が、さらにパブリシティネタという副産物も生み出したのである。
そんな著者が現在計画しているのが、1960年代を代表するもう一つの漫画『あしたのジョー』をインドでデビューさせるというものである。主人公とライバルの関係、主人公の生い立ちやハングリー精神、時代背景といったところが、インドにおいても受け入れられるはずと確信しているのだという。
企業にとっての成功体験は必要不可欠であると同時に、罪作りな存在でもある。その存在ゆえに、次の成功へシフトするための妨げとなることもあるからだ。本書のケースが優れているのは、単にアニメ番組のリメイクのみならず、成功体験もまた、時代や国を超えてリメイクできうると実証してみせた点にある。これには何だか胸のすく思いがした。
アニメというキャッチャーなネタの奥に潜む、ビジネスとしての難解さ。トラディッショナルな企業の中で発揮されるベンチャー魂。「思い込んだら、試練の道を 行くが男のど根性」の世界が、軽やかに描かれている。
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