あなたは「三種の神器」が何か、知っているだろうか。“サラリーマンの三種の神器”とか“セクシー小悪魔の三種の神器”のような慣用句ではなく、天皇を天皇たらしめるための3つの品物のことだ。確か、剣と鏡と宝玉だったような…ぐらいは知っていて欲しいが、難しいかもしれない。
本書は第125代の今上天皇、明仁まで代々受け継がれてきた三種の神器について、いつ、どのように、なぜそうなったのか。そしてそれらは今、どうなっているのかを古事記、日本書紀、その他の地方風土記を資料に謎を解き明かしていく。著者は神職の資格を持つ作家で、私は数年前に『ヒルコ 棄てられた謎の神』を読んでから常に新刊をチェックする書き手となった。古代史というと、あまりにも遥か彼方の出来事で寓話のようにしか思っていなかったが、この本でイザナギ、イザナミを始めとした神々に対して生身の人間を感じ、きちんと学んでいきたいと思うようになったのだ。
さて、最初の質問に戻ろう。「三種の神器」とは何か。それだけ知りたいのなら本書の序だけ読めばいい。八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八咫鏡(やたのかがみ)。天皇践祚、つまり天皇職を引き継ぐときにこれらを所持することが皇室の正統たる帝の証で同時に継承される。しかし実物が天皇の手元にあるわけではなく八咫鏡本体は伊勢の神宮の皇大神宮に、草薙剣は名古屋の熱田神社にご神体として奉斎されているため、形代という分身が皇居に置かれている。唯一、玉璽と言われる八坂瓊曲玉のみ本体が宮中にあるとされている。
昨年の大河ドラマ「平清盛」は思わぬ不振をかこった。源平合戦の終わりにわずか8歳の安徳天皇が入水するとき、草薙剣と八坂瓊曲玉は帝と共に海中に沈んだが、八坂瓊曲玉は木箱であったため、すぐに回収されたと言い伝えられている。しかし、古事記や日本書紀によると第12代景行天皇によって草薙剣は熱田神宮に納められていたため、改めて写しが皇居に納められた。三種の神器は今も変わらず天皇とともにある。
それらはどんな形をしているのだろう。天皇でさえ見ることはないといわれる「本体」だから、知る人はいないはずである。しかし神器の名称、古事記、日本書紀の記録、実際見たという証言、などが手掛かりになるはずだ、もちろん根拠のない伝来や伝説は排除し、全国津々浦々にある神社のご神体など偲ぶ縁となるだろう。古墳や塚などの出土品も似たものがあるに違いない。しかしそれにたどり着くには、膨大な知識と根気が必要である。本書はわずか200ページあまりの中に、それが凝縮されている。一字一字目を追っていくのに気を緩める暇がない。こんなに集中して本を読んだのは久しぶりだ。
宮中に置いて最重要視されているのは、アマテラスの御霊代、御神体として近くに置くようにと命じた八咫鏡である。これだけは宮中三殿の賢所に重要に斎き祀られ、明治維新後は明治、大正、昭和天皇の即位のときにだけ京都御所へ動かされただけだ。しかし、八坂瓊曲玉、草薙剣は通常、天皇皇后両陛下の寝室の隣に設けられた剣璽の間に安置されており、行幸、つまり旅行などの際は携行される。これを「剣璽御動座」という。賢所という社殿に祀られる鏡と、どこに行くにも携帯される剣と玉、その待遇の差は明らかである。
賢所は皇居の森奥深くにある神殿、皇霊殿、賢所の宮中三殿のひとつである。ここに八咫鏡の形代は安置されているが、なぜかふたつ唐櫃がある。どちらも高さ90センチ、縦横80センチで重量は200キログラム。火事や災害の折には今上陛下より先に避難が決められていて、どちらも若き皇宮護衛官6人で運び出すことが決められている。配置は室町時代に吉田兼倶によって決められたものだという。そう、日本の神道総本山ともいえる、吉田神道が関わっている。
草薙剣の由来は、三種の神器の中で一番有名だろう。スサノヲ命(須佐之男命)が出雲国で倒したヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智)の尾から出てきた太刀、天叢雲剣が後に名を変えて草薙剣となった。スサノヲからアマテラスへ奉納され、天孫降臨のさい、ニニギ尊(瓊瓊杵尊)に手渡されたものだ。しかし、なぜ敵方の、それも負けた剣が天皇家いや日本を守る宝となったのだろう。
八坂瓊曲玉は勾玉とも書く。しかし“勾”という字は本来の意味で「曲る」だが、白川静の『字統』によると骨の屈折を著し「死体」を意味するという。古事記では勾玉と書かれているものが日本書紀では曲玉に書き換えられている。こういう例は倭と大和があり、卑字・凶字が吉字・好字として書き換えられたと著者は言う。古事記編纂は712年。日本書紀編纂は720年。たった8年の間に日本人の意識に大きな改革があった。それが漢字の変遷だけで見て取れる。
この曲玉は後に巴紋などに使われている頭が大きく、尾が付いているような形で、日本の他ではほとんど例を見ないそうだ。これは胎児の姿なのか、あるいは月の姿なのか。
それぞれの成り立ちと互いの力関係、そして時代時代の権力者による扱いは、本書を読み進めてもらうしかない。古事記、日本書紀に書かれていることを平易に読み解くと、こんなに人間臭いものなのかと驚くことだろう。祀るという行為は、本来「祟られないように奉る」ことである。三種の神器それぞれも、害を成したことによって祀られ、それでも祟りを恐れて八咫鏡と草薙剣は第10代天皇崇神天皇により皇居の外へ出され、やがて伊勢神宮、熱田神宮に祀られることになるのだ。
現天皇家、そして日本の基礎を築いた最大の傑物は天武天皇であることも知る。壬申の乱の後に即位、14年ほどの在位期間中に藤原京を立案し陰陽寮・占星台を作り、新たな身分制度と、体系的な律令制を確立し、古事記・日本書紀を編纂した。そしてこの時に初めて三種の神器が制定されたのだ。唐に従属しない独立国家として日本を作った天皇。この歴史を知るだけでも本書を読む価値があると思う。
日本の神話に出てくる神様は名前が難しい。漢字も読めないし、関係性もすぐに頭に入ってこないだろう。しかし天武天皇が何を考えていたのか、それを知ってから読むと、外交や経済、文化を視野にいれた壮大な物語が浮かび上がってくる。
昨年は古事記成立から1300年であった。多くの関係書が出版されたが、本書はかなり趣を異にしている。神器は古事記、日本書紀以前から存在していた。もし、今、これらを化学分析することができれば、日本のルーツがわかるはずである。誰も見たことのない宝物は、これからも日本人の心の拠り所と成り得るのだろうか。それほど遠くない将来に必ずある新天皇の践祚の儀式の折、改めて本書を取り出して読み直したい。
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本書にも登場する「宮中三殿」に仕える専門の女官「内掌典」の57年の記録。現代の東京の真ん中で、こんな暮らしをしている人がいたのかと驚愕とともに、宮中の生活を垣間見られる貴重な本。
恥ずかしながら読み通していない。まずはこれからか…