表紙は3本の干し昆布を並べただけという何とも飾り気のない本だが、なかなかどうして読ませる一冊。さながら、140年を誇る昆布商の主人が語る「昆布民俗学」の決定版と呼べるほどの充実した内容だ。
この黒くて地味な昆布、実は日本の近代化にも一役買っている。古くから蝦夷地で食されていた昆布がポピュラーになったのは江戸時代後半。松前(北海道)と大坂を往復しながら物資の売却をする船は「北前船」(きたまえぶね)と呼ばれ、その船荷の中で重要な地位を占めたのが昆布だった。
江戸城の修築、木曽川治水工事など、幕府から莫大な出費を命ぜられたうえ、領地は火山灰地で農業の生産性も低く、常に財政は火の車―18世紀、そんな薩摩藩が目をつけたのが昆布だった。鎖国下にありながら、外様大名の薩摩藩は琉球王国とまず貿易を行い、その後、琉球王国と朝貢貿易を行っていた清国(中国)といわゆる「抜荷」(ぬけに)とよばれる密貿易を始める。
そこで中国から求められたものが実は昆布だった。内陸部に住む人々は慢性的にヨウ素が不足し、甲状腺の病気を患う人が大勢おり、ヨードやカリウム、カルシウムなどミネラル豊富な昆布が求められたのだ。
しかし、地理的にも産地から遠い薩摩藩が昆布を容易には入手できない。そこで白羽の矢を立てたのは同じ外様大名である加賀前田藩領内の越中・薬売り。薩摩藩は領内での営業を認める交換条件として、蝦夷地の昆布の提供を求めたのだった。
一方、売薬商にとっても薩摩と手を組む上で大きなメリットがあった。長崎出島経由で手に入る中国の漢方薬は幕府の統制下にあり、種類や量も限られる上に高価。そこで、薩摩・琉球経由の密貿易で薬種を豊富かつ安価に入手するルートが確保できれば、富山の地場産業を支えることが出来るというカラクリだ。
この密貿易により薩摩は藩財政の立て直しに成功する。昆布貿易による莫大な利益が倒幕資金となり、近代的な軍備を整えた新勢力が幕府を倒し、明治維新を迎えることになる。
倒幕の立役者となるほどの実力をもつ昆布だが、もちろん日本で昆布が食べ継がれてきた理由はそのおいしさにある。
昆布の「うま味」成分であるグルタミン酸は、実は母乳のなかにも豊富に含まれている。我々が昆布の「うま味」に懐かしさを感じるのは、生まれてすぐ口にする母乳のうま味がすり込まれているからなのだろう。
昆布の「うま味」が発見されたのは1908年、池田菊苗博士の手による。これに続き、1913年には旧東京帝国大学の池田博士の弟子の小玉新太郎が鰹節のうま味成分のイノシン酸を、1960年にはヤマサ研究所の研究員、国中明が干し椎茸のうま味成分としてグアニル酸を発見。いまやUMAMIは海外トップシェフの共通言語となっているが、代表的なうま味成分のすべてを日本人研究者が発見したことからも、日本人は「うま味の先駆者」であると言えよう。
味という点において昆布とワインには驚くべきほど共通点が多い、というのは昆布商である著者ならではの斬新な視点だ。
ぶどうを育てワインを造る農業と、海から昆布を収穫する漁業は、共に大自然からの恩恵を多く受けている。ワインを造るぶどうの樹は、土壌や気候風土(テロワール)に合う最適な品種を植える。
昆布の場合も、それぞれの地方で異なる品種の天然昆布が育つ。昆布の生育には、潮の入り、河川の流れ、日当たりなど自然環境が大きく左右する。とくに上質な昆布が生まれる「別格浜」と呼ばれる場所は、目と鼻の先の浜と続いていても昆布の質が全く違うという。細い道一本隔てたぶどう畑でも、仕上がるワインの味わいが全く異なるのとそっくりだ。
さらにワイン同様、昆布も収穫される土地の地名で流通する。ブルゴーニュ地方のジュヴィレイ・シャンベルタンではないが、知床半島では「羅臼昆布」、宗谷岬では「利尻昆布」という具合に産地名で呼ばれ、それぞれ味わいの特徴が異なり値段まで決められる。
そのうえ、ワイン・昆布のどちらにも「格付け」がある。ワインには、グラン・クリュ、プルミエ・クリュ、ヴィラージュもの、といった格付けがあり、昆布には「別格浜」「上浜」「中浜」「並浜」といったクラス分けが昆布の各産地で細かく決められている。
しかもどちらも天候によって出来が左右される。昆布にも「ヴィンテージ」が存在し、出来のいい年と、逆に天候に恵まれずに収穫量の少ない年があるのだ。ちなみに、ワインにはボジョレ・ヌーボーのように新酒を楽しむ文化があるが、昆布の場合はどんな種類の昆布も、収穫直後より少し月日が経ったほうがおいしくなる。
また、昆布の栄養価には驚くべき健康効果が秘められている。海で育った昆布は、海のミネラルを豊富に蓄えており、しかも昆布のミネラルは体内への消化吸収率がよく、その80%が吸収されると言われている。
昆布はカリウム、鉄分、ヨウ素(ヨード)などのミネラルや食物繊維が豊富で、とくにヨウ素は海藻のなかでもずば抜けて多い。ヨウ素は、成長や代謝を促すホルモンを作る、人の甲状腺ホルモン構成の一元素。ヨードは甲状腺から分泌されるホルモンの主な原料で、体を作る細胞の新陳代謝をスムーズにし、昼に潤いや張りを与え、肌を美しく保つことにも役立つ。
昆布の炭水化物成分50%のうち20%は食物繊維、残りの炭水化物成分に含まれるアルギン酸はぬるぬるしているのが特徴で、ストロンチウムやカドミウムのような有害元素を体外へ排泄する働きがある。このアルギン酸が高血圧の予防に一役買っていることも解明されてきている。
昆布に約1%含まれる多糖類のフコイダンは、動物実験でがん細胞の減少やがん抑制効果が確認されている。フコイダンにはがん細胞のアポトーシス(細胞の自殺)を引き起こす作用があることが報告されている。
栄養素が豊富に含まれている昆布は、胃の中で水分を吸収して量が増えるため満腹感を味わえ、なおかつ低カロリーなので理想的なダイエット食品といわれている。食物繊維やカルシウムも豊富、さらにカリウムの塩分(ナトリウム)排出作用やマグネシウム摂取により心筋梗塞・脳卒中が起こりにくくなるなど、昆布の健康効果のオンパレードには目を見張るばかりだ。
その他、昆布のおいしい調理法や、消費地と昆布の種類の関係の謎(京の利尻昆布に東京の日高昆布、富山の羅臼昆布)、昆布商140年から見た昆布産業今昔物語など、他にも本書には興味深い話が盛り沢山。正月のおせちが久しぶりの昆布だったという方や、日ごろ昆布にお目にかかるのはコンビニのおにぎり具材くらいという方にも、ぜひこの一冊を通して昆布の底力を知っていただきたい。
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思い返せば、昨年のレビュー初めも食と健康がテーマだった。腹が減っては読書も出来ぬ。
食文化に興味のある方にはこちらもおススメ。発酵食品も健康に良いが、飲み過ぎには要注意。
塩を巡る日本人の軌跡。こちらも読み始めると止まらない一冊。民俗学にはロマンがあります。