そもそものきっかけは、大学受験を控えて専攻が決まらない息子と書店巡りをしていた著者のアレン教授が、ショーウィンドウ越しにオックスフォード大学出版の「入門」シリーズを見つけたことだった。
本書の原題は「Global Economic History : A Very Short Introduction」だ。最初は『豊かな国と貧しい国』という題名にしたかったが、出版社からの要望で、分野がわかりやすいものに落ち着いた。日本版の発行に際しては元々の希望に近いタイトルに変更し、さらに、高校生や大学生に読んでもらえるような訳文づくりを目指したそうだ。そうして出来上がったのが本書である。ややこしいことを書いてしまったが、要は、とても読みやすく、わかりやすい本だ。ややこしいことをシンプルに書くのは、すごいことだと思う。
本書が取り扱うのは、西暦1500年から今までの期間だ。著者は、この500年を3つの期間に分割した。最初が1800年までの時代で、大航海時代から、産業革命の前半くらいまでの期間になる。その次が19世紀で、欧米の国々がイギリスに追いついた時代だ。最後の20世紀には、西側諸国に追いつく他の地域の国が出てきた。例えば日本だ。
世の中には、なぜ豊かな国と貧しい国があるのか。これに関連して、本書は「大いなる分岐」という現象をとりあげる。1500年から1800年の頃、1人当たりのGDPは、富裕国と貧しい国でそれほど違っていなかった。
例えば1820年では、イギリスの1706ドルに対して、インドでは533ドルだった(1990年の米ドルへの換算値)。2008年になると、23742ドルに対して2698ドルになる。つまり、1820年には3.2倍だった「儲けの差」が、2008年には8.8倍になっていたということだ。このような事が一般にあてはまる。1820年に豊かだった国は、その後も「成長率」が高い。これはなぜかというのが本書のテーマだ。
「大いなる分岐」は、15世紀後半、コロンブスなどの探検家たちの大航海から始まる。帝国主義・重商主義によって成功したイギリスやオランダの社会には、大きな変化があった。都市化、農業革命、エネルギー革命だ。都市化は高賃金をもたらし、高賃金は教育レベルを底上げした。識字率は6%から53%に上がった。また、エネルギー革命によって石炭や泥炭へのシフトが起こり、イギリスは最も安価なエネルギーを手にした。
これが「なぜ産業革命が起きたか」の理由になるという。高人件費・低エネルギー価格が「なんとか人を減らして機械化したい」というモチベーションを維持させた。他の国では人を雇ったほうが安い案件でも、イギリスでは、機械化したほうが有利なものがあったのだ。高賃金がイノベーションを牽引したというのは興味深い。産業革命は90年かかってじっくり起きたが、徐々に恐るべき仕事力を発揮した。最初は高賃金・低エネルギー価格のイギリスでしか使い物にならなかったが、最後にはあらゆるところに応用されるようになった。
蒸気力は汎用技術、すなわち多様な用途に適用可能な技術の例である。他には電力やコンピュータが汎用技術に含まれる。汎用技術が潜在的な力を開花させるのには数十年を要するので、その経済成長への寄与は、発明からかなり後になる。
ニューコメンの発明から150年たった後、19世紀半ばのイギリスの労働生産性の伸びの半分が蒸気機関によるものとなった。その後の歴史も似たようなものだ。お金と時間をかけて技術を開発すると、生産性が高まる。これは富裕国にとって有利である。途上国は、資本がないので過去の技術を使用し続けるしかない。
他の国はどうやって追いついたのか。本書には、イギリス以外の西側諸国がキャッチアップした際に用いた「標準モデル」が紹介されている。もともとはアメリカで開発され、それからヨーロッパに導入された。これは下記の4つの標準的な政策からなる。
・内国関税の廃止と交通インフラの建設による国内市場の統一
・自国産業を保護するための、対外貿易関税の設定
・通貨を安定させ産業投資資金を供給するための銀行の設立
・労働力人口の質を高めるための教育施策
ドイツやアメリカ等は、このパッケージでイギリスに追いついた。一方、インド等の植民地は、宗主国の利害に従属していたためにこの政策を採ることができなかった。ラテンアメリカやアフリカの諸国も、それぞれ個別の阻害要因があった。アフリカでは地理的要因、植民地政策、奴隷制度などの要因が複合的に影響した。
本書において、アジア諸国の中で最初にキャッチアップした日本は大変興味深い事例として取り上げられている。基礎は江戸時代からあり、寺子屋での教育が後の成長の下地となった。その後の明治維新による急激な変化はご存じの通りだが、まだ成長率は十分ではなく、当時のペースのままでは、アメリカに追いつくのに327年かかるはずだった。これを変えたのが、1950年以降の戦後の政策だ。
日本などの20世紀にキャッチアップした国がとった政策は「ビックプッシュ」と呼ばれる。先進国の一人当たり所得は年2%で成長しているが、これらの国の所得は、6%かそれ以上で成長した。このように急速に成長し続けるには、先進国が持つ要素を同時に準備するしかない。つまり、製鉄所、発電所、自動車工場、都市等が同時に建設されていった。それぞれの需要と供給を見越して建設しなければならないので、国がグランドデザインを描き、計画的な政策が作られた。こうして先進国に追いついた後は、先進国と同じ速さ、つまり、年2%でしか成長できない。本書では、日本のバブル崩壊は、先進国に追いついたことが原因とされている。
このようなモデルがあるにしても、経済発展をもたらす最適な政策については全く解明されていないという。でも、本書はいろいろ考えるきっかけになった。高人件費・高エネルギー価格の今の日本で起きそうなイノベーションは何か。次に自動化されて生産性が高まるものは何か。次の汎用技術は何か。中国やインドのような大国がキャッチアップしている状況で、先進国は年率2%で成長を続けられるのか。Google等の多国籍企業がやっていることは「ビッグプッシュ」に似ているか。そんなことを私が考えても何の得にもならないのだけれど、読んで妄想すること自体がエンターテインメントだ。あっという間に1年が過ぎた。来年は、どんなおもしろい本が出てくるだろう。楽しみです。
本書と同じく、1500年からの500年間における「西洋の強さ」について考察した本。こちらでは「競争・科学・所有権・医学・消費・労働」が要因として挙げられている。
こちらは1万3000年前から。HONZで登場するのは何度目だろう。文庫版が出ました。