トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸福な家庭は皆同じように似ているが、不幸な家庭はそれぞれにその不幸のさまを異にしているものだ。」だといった。
ザッカーバーグとフェイスブックは、古(いにしえ)の覇者、ビル・ゲイツとマイクロソフト、スティーブ・ジョブスとアップルの相似形である。中流以上の家庭に育ち、見てくれをまったく構わないプログラミングの天才。不遜にして、壮大な夢を持ち、成功の尺度はマネーではない。それぞれの時代を代表する企業の幸せもまた同じように似ているのだ。
いっぽうで、フェイスブックとマイクロソフトとの大きなちがいはファイナンス環境であろう。ベンチャーキャピタルのおかげで企業の成長はブーストされるが、創業者は財務的にも早熟であることも求められる。天才と秀才が一人の中に並立している人物こそが成功者となりうるのだ。
本書は、まるでジェットコースターにでも乗っているかのごとく、フェイスブック起業物語がどんどん進行する。やがてザッカーバーグの哲学から、インターネットと世界の関係にまでおよび、読者が乗ったコースターは未来へと飛び出していくのだ。
「透明性の高い世界を作ることで、人はより責任ある行動をとるようになる。自分はそういう世界をつくりたいのだ」というザッカーバーグの哲学は、世界中で現実になりつつある。
エジプトではムバラク大統領退陣要求デモが続いている。明確なリーダーのいない運動であり、原動力となったのはフェイスブックだったといわれている。デモ隊と大統領派に間に小競り合いがあるようだが、デモ隊には原理主義的な匂いがしない。むしろ、ラクダに乗って乱入する大統領派にくらべ、デモ隊は責任ある国際的な行動をとっているように見えるのだ。「便所の落書き」といわれたネット上の書き込みに、実名が加わると、国の体制が変わるほどの威力を持ち始めるのだ。
本書は分厚く、内容も非常に濃いのだが、原文も翻訳も素晴らしく、読みにくいことはない。現代経営学の事例集としても、ソーシャルネットワークの入門書としても、ノンフィクション文学としても読むことができる好著だ。もちろんフェイスブック上では大評判である。
(週刊現代2月26日号 書評欄掲載)