ここ20年間、モロッコ、ネパール、ケニヤなど開発途上国の観光地を中心に家族旅行してきた。逆にイタリア以外のヨーロッパを観光したことはない。ヨーロッパ旅行は老後にとっておこうと思ったのだ。とりわけヴェルサイユ宮殿などは最期の際で良いと思っていた。
ヴェルサイユ宮殿がつまらないとか、楽な旅行だからというわけではない。先進国の観光地は200年後に行っても、いまとさほど変わっていないことが確実だからだ。変化しないことこそが、観光価値なのである。であるならば、慌てる必要はない。
『ヴェルサイユ宮殿に暮らす』はそんな考えを打ち砕き、いますぐパリに飛びたくなる本だ。著者の専門はヴェルサイユ宮殿の歴史である。本書は世にもまれな大宮殿の蘊蓄本なのだ。
この宮殿には王族用以外にトイレがなかったことは良く知られている。貴族たちは城館や庭園で用を足したのだ。しかし、便槽の掃除で死者がでていたことは本書ではじめて知った。電気のない時代だから蝋燭は必需品だった。官位に応じて支給されたのだが、使用済の蝋燭を集めて転売する役得も制度化されていたらしい。
宮殿には226室の居室があった。ルイ14世は貴族に殺されることを恐れ、かれらを隔離し、相互監視をすることができるよう、この宮殿を作ったのだ。つまり、ヴェルサイユ宮殿は巨大マンションでもあったのだ。そのため王族の着衣ですら干すところがなく、無数にある窓から洗濯物がはためいていた。当然のことながら水は汚染され、巨大な庭園の噴水や運河は悪臭のもとになっていたという。
王が主催する食事会は大変豪華なものだったので、大量に食い残しが出た、これを順に官僚から使用人へと回し、最後に余ったものを町人などに売る小売商がいたという。
ところで、このところ政府は海外からの観光客誘致に真剣だ。しかし、その目的は文化理解よりも家電販売であるように見える。たしかに日本で不変なのは城ではなく製造業なのかもしれない。