なんとも言い難い魅力を持った不思議な本だ。東えりかのレビューを参考にしてほしいが、要するに、イギリスの学生がトースターを自作した、という話だ。ただし、「ゼロから」と謳っているだけあって、その「自作深度」はおそろしく根源的に深い。例えば鉄の部品を作るため、著者は鉱山まで鉄鉱石を拾いに行き、自宅で精錬することから始める、という具合だ。そして時間とお金をかけ、本の表紙写真のような素敵なトースターが完成したのだ(最初に見たときは、まさか完成品だとは思わなかったが……)。
さて、著者のトーマス氏がこっそり来日しているという話を聞いて、まずは編集者と連絡を取る。しかしなかなか取材日の連絡が来ない。聞けば、トーマス氏に連絡を取ろうと試みるのだが、携帯はつながらず、Facebookでもメールでも、いっこうに返事がないというのだ。
土日も編集者のOさんとやり取りをするが、一向に音沙汰なし。そして日本を離れる前々日にOさんから電話があり、やっとトーマス氏と連絡がついたとのこと。なんと「山に行っていた」という。イギリスでも鉄鉱石や雲母を得るために山奥に行っていたトーマスくんだ。日本でも何かミッションがあって、険しい山奥にでも行っていたのだろう、とむしろ感心。「時間はいつでもOKだよ!」というトーマスくんからの軽やかな返事を受け、午後からの取材アポを取ったのである。
そして、翌日。予定の時間になったが……
トーマスくんは現れない。
次のアポがあり、刻一刻と時間が過ぎて焦る私。なにしろ彼は明日には日本を立つ。日程を組み直すのは無理だ。
もう、ぎりぎり、というところで、ついにトーマスくんが満面の笑顔で登場した。
――山に行ってたって聞いたけど(ちょっと嫌味も込めて)
トーマス そうそう、いやー、最高だったよ、ものすごくきれいだった(ますます屈託のない笑顔で)。
――どこに行ったの?
トーマス 上高地。
ってことでただの観光登山だったみたいです。金山で金でも掘ってるのか思ってました。気を取り直してインタビューを開始。まずは本が出版に至る経緯について。
トーマス トースターを作るプロジェクトは、ぼくの大学院の卒業制作として始めました。そして完成後、自分のためだけに、制作の記録をまとめた冊子を友達のデザイナーに作ってもらったんですよ。そしてある日、バーに行ったら、すごく有名なデザイナーがいて、何杯かひっかけてから勇気を振り絞って、「こんな本作ったんです」って渡したんです。そうしたら、その人が出版社に本を渡し、出版されることになったというわけ。
さらにそれをヨーロッパのブックフェアで見つけたのが編集のOさん。フェア会場でこの珍妙な本に惚れてしまい、日本版の出版に至ったのだ。
――プロジェクトを進めている最中から、WIREDやニューヨークタイムズなどで取り上げられて、話題になっていたみたいですね。
トーマス まったく予想してなかったことです。でも製作中は、それらを気にする余裕もなかったです。卒業の最終段階を、まるまる使えもしないトースターに費やしていて、それもなかなかうまくいかない。こんなことしていて就職できるのか、履歴書になんて書こうか、とか、そんなことばかり考えてました。
――本に書いている以上に、大変なことがいっぱいありそうですよね。たとえば、さらりと書いていますけど、鉄鉱石を運ぶだけでも相当大変だったでしょうし。本には書かなかった苦労話などを聞かせてもらえないでしょうか。
トーマス やっぱりプラスチックを作るのが一番大変でした。じゃがいもからプラスチックを作ってみたこと場面では、本だと一回の失敗として描いていますが、実はいやになるぐらい何度も何度も失敗を繰り返していて……。あれは唯一うまくいきそうだったときのことを書いているんですよ。結局最後に失敗しちゃいましたが。
――それで廃プラスチック利用を考えついて……
トーマス 人類は過去の時代の遺物を資源として利用してきた、と理屈をつけて、結局廃棄プラスチックを再利用したわけですけど、まあ結果として、おもしろいカバーになりましたし、あとこのプロジェクトの議論が期せずしてリサイクルのことにまで広がったのもよかった。でもあれも作業自体は本当に辛くて。要するに、自分の裏庭で火をおこして、プラスチックをドロドロになるまで溶かしたわけで、一応マスクはしてたんですけど、その晩は目に激痛を覚えて眠れず、いよいよやっちゃったか、失明するのかな、なんて一晩中考えていました。すごく怖かったですね。
――やっぱりそれが最大の苦労?
トーマス いや、なんといっても、最初に作った鉄が砕けちゃったとき。あれは筆舌尽くしがたいほどに落ち込んだ、大きな挫折でした。
――普通はあそこで諦めそうですよね。
トーマス そのとおり。実はまだ引き返してもいい時期だったので、あれで諦めて別のことをやるという選択肢も当然あったと思うんですけどね。でも投げ出さなかった理由は、代案を探していたときに、電子レンジで鉄をチンして精錬するっていうアイデアを見つけて。それがすごく面白そうで、そこでモチベーションをまた掻き立てられたわけです。
――個人的には、本書で一番面白いのは、この電子レンジでの精錬の場面だと思います。やはりご本人も楽しんでいたのですね。
トーマス はい。このアイデアがどうなるのかを見てみたいという気持ちで、すぐに立ち直りました。ただ、このプロジェクト、まったく完成形が見えなくて。いったいどういうふうにプロジェクトが収斂していくのかが見えないなか、単に「おもしろいはずだ」「きっとすごいことになるはずだ」という根拠のない自信だけで自分をモチベートしながら、大変な作業に打ち込まないとならないっていうのは、まあ辛かったですね。
――肉体的なことより精神的なほうが……
トーマス そうそう。マラソンでもそうだけど、やっぱり精神的な強さが最後はプロジェクトを牽引するんです。でも、もうちょっといい仕事ができるつもりではいたんですよ。痛感したのは、各部品がどれだけ先鋭化した技術の結晶なのかっていうこと。例えばバネなんか、鉄があればいいと、漠然と考えていたんですけれど、実際に取り組んでみると、バネになる弾性のある金属を作ることが途方もない技術であり、なおかつそれをあの形状にすることが、当然手作業では無理な高度な技術であることを思い知らされます。iPhoneを作るわけじゃあるまいし、トースターぐらいはもうちょっと与し易いと思ったんですけれど、歯が立たなかったっていうところで、現実を思い知らされましたね。
――小さな部品1つにもすごい技術がかかわっているんですね。
トーマス そうです。たかがトースターですが、細部でものすごいことがなされているんだなと。この本では、古代の技術などを引っ張り込んでようやく形にしたわけですが、今作られているものは、過去からの連続体としてここにあるんだということ、そしてこの先もさまざまな積み重なりが生じ、それが未来につながっていくんだという意識を持つこともできました。
――僕は読んでいて、本当に自分は何もできない、作れない、まさに銀河ヒッチハイク・ガイドのアーサー・デントのように、サンドイッチぐらいしか作れないことを痛感しましたね。
トーマス この本の背後にあるメッセージはまさにそれです。ある製品の製造過程について想像力を働かせてみたとき、まあ工場のラインぐらいまでは想像できるんでしょうけど、部品や、部品を構成する「部品の部品」の製造というところまではなかなか思い至らない。加えて、「部品の部品」を作ることを可能にした技術というのは、まったく別のベクトルから現れていたりする。ひとつのベクトルには長い長い長い歴史があり、そんなベクトルが無数にあって、多様な方向に複雑に絡み合っています。製品というは、そういう網目状の1点に位置しているんですよ。そしてそれをたった一人で再現しようとすると、この本で書かれているようなスラップスティックになりますよってこと(笑)。それはうまく伝えられたんじゃないかと思いますよ。
――トースターとは、空間と時間が複雑に絡んだ網目の1点であると。
トーマス はい。普通、こういった話は、哲学的に語られるんですけど、この本では、たかがトースターを作るということを通じて、そんなメッセージを表現したというか。トースターに含まれる哲学って、あまり人の考えの及ばないところなんですけどね(笑)。トースターにさえ、哲学と歴史がある、というわけです。