『人を殺すとはどういうことか』が上梓されたのは2009年1月であった。同年8月に裁判員制度が始まる。2010年7月、千葉法務大臣は死刑執行命令を出し、2人の死刑囚に死刑が執行された。本書はそのタイミングで出版されたものだ。著者は殺人にまつわる刑罰について、国民的な議論が巻き起こりそうになるたびに、本を出していることになる。
主張そのものは不変である。すなわち、ほとんどの凶悪犯は反省などしないし、刑務所暮らしを苦痛に感じていないし、むしろ悪事についての知識を増やして、社会に戻っていく、というのだ。したがって、死刑という刑罰を無くすべきではないし、終身刑は厄介事を増やすだけである、という。
三振法がない日本においては、服役が10回を超えるような犯罪者がいる。ある再犯受刑者は「逮捕はリスクではなく、服役年数に同年代の平均年収を掛けて自分が稼いだ額が下回ることは滅多にない」と語ったという。しかも、2007年の監獄法改正により、月に6-7回、ビデオによる映画を見ることができるようになり、職員に「その指示の法的根拠は何か」などと言いがかりつける受刑者もでてくるようになったという。
本書においては著者の衒学趣味はなりを潜めている。平均的日本人が理解できる言葉で書こうとしている努力のあとがあるのが判る。つまり、自説の主張から啓蒙へと立ち位置を変えたように見えるのだ。とりわけ最終章の「無期懲役囚から裁判員への実践的アドバイス」は瞳目に値する。倒錯感を禁じ得ない。殺人犯が一般人にアドバイスをする。しかも、その内容は死刑を躊躇するなというのだ。
著者は「あとがき」で自ら起こしたの殺人事件を悔悛し、「窓から射し込む、目映い光に目を奪われ、過去の記憶の襞をまさぐる時に、あの時にもう一度、時が戻るならばと夢想することもありますが、奪った命を取り返すことはできません。光の粒子の瞬きに、自分の愚かさを悔いる度に、体の奥の芯に熱を帯びた疼きを感じます。」と書く。
ボクは「罪を憎んで人を憎まず」という言葉を信じないのだが、この著者だけには別の人生を歩んで欲しかった。人殺しだけはやってほしくなかった、という印象を改めて強く感じる。それにしても著者は刑務所内で月に100冊の本を読むという。収納できる蔵書棚を持っているとは思われない。ネットもPCも使えないであろう。おのれの脳が唯一の書庫になっているはずだ。
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