- 作者: 櫻井 武
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出版社: 講談社
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発売日: 2012/10/19
トマト、モムチャン、低炭水化物にロングブレスと、新たなダイエット手法が発明されては次々とブームとなってきた。これらの多くが既に過去のものとなりかけていることを考えれば、どの手法も皆の願いを叶える決定打とはなっていないということだろう。飽食の時代を生きる我々にとって、自らの食欲を抑制することは相当に困難なことなのだ。
食欲を押さえ込むことだけではない、食べ続けることもまた難しい。この難しさは、ヴァーモント大のグループが行った、200日間ずっと通常の2倍の量の食事を摂り続けるという実験の結果からよくわかる。多くの被験者は、体重が増えるに連れて食べることを苦痛に感じ始め、望んで参加した実験を続々とリタイアしていったのだ。また、実験後に被験者達の体重はたちまち実験前と同じレベルにまで戻っていったという。
これは「体重の恒常性」と呼ばれる、体重を一定に保とうとする性質がヒトに備わっているためだ(この性質は、急激な体重増加に悩む私にも備わっている、ハズである)。毎日体重計に乗ってチェックしなくても、年間500~600kg程度もの食事を胃袋に流し込んでも、多くの人が体重をおおよそ一定に保っているというのは、驚異的である。
私たちはどのようなメカニズムで、「もっと食べたい」、「もう満腹だ」と感じ、体重を一定に保っているのか。本書は、食欲を抑える働きをする「満腹中枢」が発見された1942年からスタートする。満腹中枢の存在は、視床下部の腹内側核を破壊されたラットが、どんなに肥満になっても食べることをやめないことから発見された。満腹中枢とは反対に食欲を喚起する「摂食中枢」は、ラットの視床下部の外側野を破壊すると食べる量の著しい減少が見られたことから発見された。ラットだけでなく、人間でも満腹中枢がブレーキ、摂食中枢がアクセルのような働きをして、食欲をコントロールしている。
満腹中枢と摂食中枢の発見で、食欲の謎の探求に終止符が打たれたわけではない。むしろ食欲にまつわる謎は、この発見から加速度的に増していく。脳の2つの中枢部はどのように身体の空腹状況を感知しているのか、どのような物質が空腹情報を伝えているのか。新たな謎が現れる度に、科学者たちは巧みに仮説を提案し、仮説を検証するための実験を行い、実験結果の解釈を巡って議論を闘わせることで既知の範囲を広げていく。
1950年代にイギリスの心理学者ハーヴィが、興味深い実験を行っている。ハーヴィは満腹中枢の障害が肥満をもたらす仕組みを明らかにするために、満腹中枢を破壊したラットと正常なラットを併体結合という手法で結合した。併体結合では、ある個体の腹部を切開して別の個体と腹膜もあわせて縫い合わせることで、2個体間で血液を共有する状態をつくり出すことができる。
併体結合後、満腹中枢が破壊されたラットには何も変化が起こらず、正常だったラットの食欲が著しく減少した。この結果を、ハーヴィは以下のように解釈した。
「満腹中枢を壊されたラットは肥満になったことで、体内に“食欲を抑制する何か”が増えているのではないか。しかし満腹中枢を壊されているために、その“食欲を抑制する何か”を感じることができないのだろう。ところが併体結合されて正常なラットの満腹中枢にはその“何か”が影響をおよぼし、食欲を失わせたのではないか」
この“何か”を脂肪細胞が分泌していると考えるのが、リポスタティック・セオリー(脂肪定常説)と呼ばれる仮説である。この仮説の大胆なところは、当時単なるエネルギーの貯蔵庫であると考えられていた脂肪が、情報伝達物質を分泌すると推測したところだ。この仮説は注目を集めたが、その証拠が十分に得られず、次第に忘れられていった。
その後20世紀も終わろうかという1994年に、脂肪細胞から作りだされる食欲抑制因子レプチンが発見され、リポスタティック・セオリーの正しさが証明された。この発見は、脂肪が実は内分泌器官(ホルモンを出す器官)だったということを明らかにしたという意味でも画期的だった。しかし、レプチンの発見に世界が注目したのは、それがヒトの食欲を意のままに抑制できる「夢のやせ薬」実現への道筋を示したからだ。レプチンの特許に殺到した巨大製薬企業の顛末からは、人体に関わる先端研究の実用化の難しさを痛感させられる。それでも、これら企業のアニマル・スピリッツが科学を加速していることは間違いない。
項が進むほどに、生物にとって「食べたい」という欲求がどれほど重要かを思い知る。例えば、たった1つの遺伝子欠陥が肥満をもたらすことはあっても、1つの遺伝子を欠損させても食欲減衰を引き起こすことはほとんどないという。ヒトの身体には、食欲を失わないようにするためのセーフティネットが幾重にも張り巡らされているのだ。
これは、人類の長い飢えの歴史を考えれば納得がいく。“食べ過ぎに悩まされる”というのは、現代の特定地域にのみ見られる極めて特殊な状況なのだ。食糧不足の環境下で、1つの遺伝子の欠陥や多少の外的環境の変化で食欲を失ってしまうようでは、直ぐに飢え死んでしまい、子孫を残すことは難しかったということだろう。
本書ではレプチン以降に発見された様々な物質、メカニズムの詳細な解説に加えて、最新技術を用いた食欲抑制の可能性や実用的な食欲との付き合い方にまで言及していく。次第に難解になっていくメカニズムに唸りながら本書を読了する頃には、あなたの知的好奇心は、極上のフルコースを食べ終わったときのように満たされているはずだ。食べ過ぎを心配する必要はない。脳には知識の摂取を抑制するような満腹中枢などないのだから。
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私たちの身体がいかに現代の食生活に適していないかを、進化の歴史を紐解きながら明らかにしていく。世界の先進国で大きな問題として取り上げられる肥満の原因はどこにあるのか、現代の我々にどのような誘惑が向けられているのか。1万年前に発明された農業によって激変した私たちの食を巡る変化を考える一冊。肥満患者には、薬物乱用者と同様に適切な治療が必要だと説く。
「火」とそれを用いた「料理」が人類を現在のカタチにまで進化させたと、ランガムは主張する。オーガニック食品好きも行き過ぎると、生のまま食材を食べることがより「自然である」と考える人もいるようだが、私たちの身体は生の食材を食べるようには最適化されていないようだ。「料理」という切り口から人類進化の謎に挑戦する意欲的な一冊。
大阪大学大学院生命機能研究科脳神経工学講座教授の著者が、大阪大学1年生用に2001年~2005年に行われていた同名の講義をまとめたものである。料理にまつわるつい人に話したくなる薀蓄もあり、料理のイロハの科学的解説ありの、こちらも盛りだくさんの内容となっている。料理をしない人にも、料理してみようかなと思わせる一冊。