5人の江戸学者たちの論文集である。それぞれの学者はこの分野の出版活動では有名である。ボク自身が最近読んだ本をあげて紹介すると。『天下人の一級資料』の山本博文、『首都江戸の誕生』の大石学、『殿様の通信簿』の磯田道史、『幕末日本の情報活動』の岩下哲典の4人を江戸東京博物館館長の竹内誠がたばねている。
竹内による序論によると、2005年に竹内の呼びかけで「日本人再発見歴史研究会」が発足し、本書はその果実だという。山本は16~17世紀、大石が18世紀、磯田が19世紀、岩下が日露関係史を担当した。
けっして日常的な読み物ではないのだが、じつに爽快にして愉快である。その理由は近世の日本人たちがじつに素晴らしいのである。そして、そのことを近世の外国人たちが素直に評価しているということだ。こんな御先祖さまたちをもって誇らしい気持ちでいっぱいである。
16世紀にはザビエルがいた。ザビエルはイエズス会士に宛てた書簡を送り、それは「大書簡」と呼ばれてヨーロッパ各地に流布した。そのなかで武士は財産を衣服と武器と家臣扶持に使うこと、多くの男女が読み書きを知っていること、日本の坊主は優秀なので布教のためには優秀な宣教師が必要であること、などなどを書きしるしているというのだ。
織田信長に面会したフロイスは「われらの子供たちは素行上、たいした分別も優雅さもない。日本の子供たちはその点、異常なほど完璧でおおいに感嘆に値する」と書き、その理由を探す。そして日本の子供は体罰ではなく、言葉でしつけられることなどを発見する。フロイスの章に続く秀忠時代の殉教に関する記述も目を見張るものがある。」
章が進み、19世紀へと入ると日本を訪れる外国人も多くなる。パンペリーは「日本の幕府は専横的封建主義の最たるものだが、しかし同時に、日本人ほどその封建政府の下で幸福に生活し、繁栄したところもないだろう」と報告する。カッテンバーグは「世界のいずれの国のものよりも大きな個人的自由を享有している」といい、ヴェルナーは「至るところに書店がある」という。
そしてオリファントは「ケッぺルもシャルボアもティチングも口をそろえて、子供たちが両親に対して示す愛情と服従、尊敬の念は果てしがない、一方両親が子供たちに寄せている信頼の念は限りがないといっている」と驚嘆するのだ。愉快至極。
ところで最後の日露史だけは完全なる別章であり、史料を整理することでこれからの研究に役立てようという目的で書かれたようだ。隣国であってもこのような作業がいまでも必要なのだろう。考えてみると、同じ隣国の中国人による近世日本論はさらに少ないのかもしれない。
日本人も支倉使節団などをはじめとして、外国報告を多数残しているはずだ。近代ではあるものの久米邦武の『米欧回覧実記』などの驚くべき報告書を残す文化があるからだ。ともあれ、この5人の学者たちがこの研究をもとに、さらに親しみやすい読み物を書いてくれることを期待したいものだ。