Things which cannot go on forever will stop. (いつまでも続けられないものはストップする)
かつてニクソン大統領の経済顧問を務めたハーバート・スタインの言葉だ。アメリカが抱える双子の赤字が急増しているのは問題だとする論者達への返答として発せられたこの言葉は、現在でも語り草になっているそうだ。どのみちストップするのは分かりきっている。問題はどのようにストップさせるかだ。スタインがこの短い一節をもって示唆したのは、そういうことだった。
著者はこのエピソードを、本書の前半かつ全体骨子の中ではやや傍流的な箇所で、さらりと引いている。非常に憎い演出だ。
この言葉こそが、まさに本書の主張そのものでもあるのだから。
一般的に、ユーロの問題はギリシャ財政との関係で論じられることが多い。事の発端となったギリシャ債務危機が勃発したのは2010年。巨額の財政赤字が発覚したことでギリシャの信用不安が拡大すると、問題の火はGIIPSと呼ばれる各国にも波及していった。スペインやイタリアといった大国さえもが崖っぷちの状況に立たされ、世界経済全体を揺るがしかねない本物の「ユーロ危機」がすぐそこに迫っていた。ヨーロッパはまさに追い込まれていたのだ。その後、紆余曲折を経て2012年9月6日、欧州中央銀行(ECB)のマリオ・ドラギ総裁が、ユーロ圏加盟国の1年物から3年物までの国債を対象とした「無制限の買い入れ」を発表。重債務国の支援に道筋がついたことで、表面的には小康状態となっている。
でも、スタインの言葉を思い出してほしい。
もしそれが「いつまでも続けられないもの」だとするならば、いつかはストップするのだ。
そして著者は、本書において論じている。どのようにストップさせることになるのかを。
ただし、この点を明確にしておかないといけない。
著者がおそらく続けられないだろうと考えているのは、ECBによる支援ではない。
ユーロそのものだ。
よく知られているように、欧州共通通貨としてのユーロが問題を孕んでいることは、ユーロ導入以前から、多くの経済学者の間で十分に認識されていた。本書の記述を辿るならば、その根本的な問題点は2つだった。
1点目は、ユーロが導入された地域内に生産性格差(南北格差)が存在していたことだ。ドイツやフランスといった生産性の高い国と、ギリシャのような生産性の低い国が、共にユーロの傘に入ったことで、本来は為替レートの変動によって調整されるはずだった様々な歪みが固定化されてしまった。端的に言うと、南の国々は総じてインフレ率が高かった。それは生産コストを増大させ、国際競争力は低下傾向にあることを意味していた。それでも各国の通貨が異なっていた時代であれば、為替レートの大幅な減価によるコントロールが働いたのだが、ユーロという共通通貨の採用によって、この機能が失われてしまった。要するに、南はますます競争力を失ったのだ。しかし一方で、ユーロ圏内のマネーは南へのシフトを強めていった。なぜならば、高金利国への投資もユーロ建てであり、ドイツやフランスからすれば、為替リスクなしにある種のキャリートレードが成立していたからだ。勿論これは、今となってみれば危険な賭けだった。どこまでいっても、リスクカントリーへの投資だったことに変わりはなかったのだから。
もう1点は、政治および財政の統合を行わずに、通貨と金融政策だけを統合してしまったことだ。加盟各国の財政を監視する仕組みを持たないままにユーロが導入されたため、「ギリシャのような財政規律を守らない国が現れ、ユーロの国際通貨としての価値をおとしめた」というのが一般的な理解だろう。ただ、この点について著者はやや踏み込んだ論述をしていて、これが非常に興味深い。
議論の前提として、本書ではまず「不可能性の三角形」を挙げている。通常は「国際金融のトリレンマ」として知られているもので、①為替の安定、②自由な資本移動、③独立した金融政策という3つのうち、2つまでしか同時に実現することができないというものだが、著者はこれを下敷きとして、更に議論を発展させていく。つまり、ユーロ圏においてはもう1つの「不可能性の三角形」があるというのだ。
①ユーロ圏をトランスファー(所得移転)同盟に転化させたくないリーダー国(ドイツ)の願望。
②共通通貨(ユーロ)を存続させたいという願望。
③北に比べて競争力の弱い南の産業が崩壊する結果、南から北への大量移民が発生し、北に移民のスラムが形成されるといった事態を避けたい欧州全体の願望。
上述したとおり、ユーロのもとでは北のマネーはインフレ率の高い南にシフトする。そして南の産業は競争力を失って、崩壊への道を辿ることになる。この時、共通通貨(ユーロ)を破綻させれば、欧州全体のダメージは計り知れない。ユーロを守ろうとすれば、産業崩壊で失業率が高まった南の住人は、北への移住を余儀なくされるだろう。しかし、ヒトの移動は現時的には難しく、ドイツもそれを望んでいない。その時、ドイツによる南へのトランスファー(所得移転)、つまり長期的かつ大規模の財政支援をこれからも続けていく以外に選択肢はあるのだろうか。そして、その結末をドイツ国民は受け入れるのだろうか。
この展開が、本書の真骨頂だ。ここに至って、ようやく本書のタイトルが『ユーロ破綻 そしてドイツだけが残った』となっている理由が見えてくる。
ドイツは今、何を考えているのか。
ユーロが、おそらくは決して遠くない未来に迎えようとしている運命とは。
「ドイツだけが残った」という言葉は、何を意味するのか。
簡潔にして明瞭なスタインの言葉が、今、重くのしかかる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
竹森俊平氏の著作を読み終えて、ふと頭をよぎったのが本書のタイトルだ。竹森氏とは全く異なる観点でマクロ経済を論じたものだが、「いつかはじけるもの」というのがバブルの定義だとすれば、国際金融市場で買い手のつかないギリシャ国債をECBが買い支え続けるというのも、見方によってはある種のバブルなのかもしれない。
ユーロ加盟各国の置かれた状況と課題について、非常に分かりやすく整理した1冊。高リスク国(ギリシャ・アイルランド・ポルトガル・スペイン)、中リスク国(イタリア・ベルギー等)、低リスク国(ドイツ・フランス・ルクセンブルク・オランダ・オーストリア・フィンランド)という3つのグループに分類し、それぞれの特徴を明らかにしていく。ちなみに本書の結論は、高リスク国/低リスク国の別を問わず、ユーロを崩壊させることにプラスのモチベーションを見出せる国家はない、ということだ。たとえギリシャに足を引っ張られたとしても、ドイツは足を洗えない。それがユーロだと。