今年のベスト3に入る翻訳ノンフィクションであり、精神スペクトラム障害に関する啓蒙書だ。じつは冷静に読むことができず、途中で何度も目を拭ってしまった。主人公のエド・ザインは重度の強迫性障害患者だ。現在は二人の女の子を持つ40歳代の男性である。
エドは11歳のときに母親をガンで喪う。軍人だった厳格な父親は、そのときのエドの様子を誤解して激しく殴りつける。エドは心を閉ざし1人でビデオを見はじめる。心が張り裂けるほどの悲しみの中で、巻き戻しができるビデオを1人見続けるエドは、やがて自らの心と身体で時を巻き戻すようになるのだ。
「時が流れる先には死が待っている。時を巻き戻さなくては愛する家族は死んでしまう」という強迫観念を持ったエドは、すべての自分の動作、すなわち一歩進めた右足は床のどこを踏んだか、どの指がどこに触ったかを完全に記憶し、それを巻き戻す行為を始める。驚異的な記憶力をもっているエドは何時間分でもミリ単位で行為を巻き戻すことができる。
そしてついには地下室にこもり、尿はペットボトルに、大便はジップロックの袋に入れて、排出すらも巻き戻しが可能なように保ちながら、いわば幽鬼となって暮らしはじめる。このときのエドの内面についての描写が的確で、あまりのことに同情してしまい涙してしまった。死に直面する病気ではないのだが、24時間続く精神的な苦しみはいかばかりであろうか。しかも、エドは病気を発症したあとでも、それを理解せずに過酷に対応する父親が死ぬことを恐れているのだ。
そこへ強迫性障害では名医の名高いマイケル・ジェナイクが現れる。このベトナム戦争に従軍したマイケルもじつは戦争のトラウマに悩んでいる。読者はマイケルがエドの病気を治しての大団円を期待する。ところが驚いたことにこの医師はエドのあまりの重症さに治療をあきらめ、エドの前で泣き崩れてしまうのだ。じっさいマイケルがエドを再訪問したのは1年後のことだった。
ところがさらに驚いたことに、エドはこの泣き崩れるマイケルを見て、病と闘うことを決心するのだ。そこへ映画キャラのレプリカを作ってる社長だの、近所の郵便局長だの、があらわれてエドを支えるのだ。高校時代の仲間も、隣人も、植木屋も全員エドの病気を知って本当に親切だ。アメリカは国としては疑問だが、個人としてのアメリカ人は間違いなく世界一の隣人だ。その親切さ、善良さにまたも涙腺がゆるむ。
やがて、快方に向かったエドの前に1人の女性が現れる。そして、その女性との間に二人の子供が生まれることになる。ちなみに妻のアヤダの父親はパレスチナ人だ。
本書のおかげで強迫性障害についてすこしは理解をすることができた。程度の差こそあれ、人種を問わず1-2%の人が悩んでいるのだという。ボクも机の上に積んである本などは直角に揃ってないとなんとなく気持ちが悪い。これがもっともっともっと行き過ぎると、障害ということになるのであろう。なんとなく想像がつくような気がする。
また、本書からは子供がどれほど親を信頼しているのか、信頼したいのかがひしひしと伝わる。そして、究極の暴力である戦争が、どれほど親に暴力心を植え付け、その親の暴力が子供を傷つけ、そしてアメリカを痛めつけているのかを読みとることができるかもしれない。