2002年から2009年まで月刊『文藝春秋』のコラム、「今月買った本」に年数回の割合で原稿を載せてもらった。このコラムはその月に買った本を十冊リストにして紹介し、そのうちの数冊の書評めいたものを書くというものだ。それでは、以下本文である。体裁は横書き用にしている。
人はウソをつくときには早口多弁になるという。淑女は齢を重ねると身に付ける宝石が増えるらしい。この一ヶ月に私がインターネットで注文した書籍は四十八冊。書店で買った分も含めると六十冊を超える。毎月、五十~七十冊の書籍を社会人になってから買い続けている。
購入した書籍のうち、読みとおすのは二割に届かない。六割は目次を眺めて本文をひろい読み。残り二割は表紙も開かないで積んでおかれるだけである。
もとより学問をしたこともなく、人生に悩んだこともない浅学非才にして能天気。平均的サラリーマンより書籍を若干多く所有して身を飾る方法でしか、レベルを表現する方法はない。まさに淑女の宝石。書籍選びには自信があるので、うそつきの早口ではないつもりだ。
書籍のほとんどはインターネット販売で買う。きまったネット書店にほぼ毎日アクセス。購入リストに新聞・雑誌の書評や広告などを参考にしながら、数点ずつ追加しておく。月に一度、ためてあったリストを吟味し、一気に発注となる。
いつでもアクセスできるので、忙しい人や忙しいふりをしなければならない私には便利である。まとめて注文すると、送料が無料になるのも嬉しい。インターネット書店のもう一つの利点は書籍を箱詰めにして届けてくれることだ。タクシー代を払って、何十冊も手持ちで帰るよりも安くて手軽だ。とはいえ、どうしても早めに読みたい本があるときは、重い腰を上げて街の本屋に出かける。バーチャル本屋では出会うことがない、リアル店員お奨め本もたまには覗きたい。
リアル本屋ではレジ前の小物だけではなく、何冊も持っているはずの男の蕎麦打ち読本や、行く予定のない国の旅行書、NHKの趣味講座テキスト、なぜか気象予報士予想問題なんかも買ってしまうことが多い。雑誌『東京人』などはわざわざ書店で買う。この雑誌、どうも立ち読みをしてからではないと価値が半減するような気がするのが不思議だ。
ところで、今月は脇役による本を多く読んだ。
『「マエストロ、時間です」』元サントリーホール・ステージマネージャー、宮崎隆男氏のあまりに面白そうな仕事。嫉妬を覚えた。私自身は真面目なクラシック・ファンではない。中学生のころは札幌交響楽団の定期演奏会に通っていたが、大人になってからは御招待にあずかるコンサートに出かけるくらい。サントリーホールを素通りし、サントリービールを飲む手合いだ。
本書は上等な仕事の上等な裏話。世界的な指揮者が震えるほどの舞台前の緊張。素人ながら不思議に思っていた現代音楽の意味不明な楽器。ここにもいた杓子定規なお役人。簡潔だが情景が目にうかぶようにはなしは展開する。
画商ハインツ・ベルグランの『最高の顧客は私自身』「20世紀美術の裏面史」とは帯の弁。クレー、ミロ、マティス。もちろんピカソもふんだんに登場する。ベルグランは画商としても有名だが、晩年コレクションをメトロポリタン美術館などに寄贈したことで、ご存知のかたもいるだろう。
この本は氏の美術史上の功績よりも、おどろくほど奔放な生活と自分の感性に対して臆することのない決断に重心をおいている。原題の『本道と脇道』が相応しい。少なくとも帯かタイトル脇には入れてほしかった。タイトル脇の「ある画商の優雅な人生」とは笑止。初版五四頁から次頁にかけては意味が通らない。ともあれ内容はすばらしいの一言。
音楽と芸術のそれぞれ脇役、時代も場所も異なるのだが、果実多き人生を垣間見せてもらった。殺伐としたビジネスの世界に身をおいている自分がみすぼらしく感じてしまうのが難点。読者諸氏におかれては日をおいて読まれることをお奨めしたい。一方、『医学部残酷物語』はさらに殺伐とした医者の世界を覗かせてくれる。医学部の教授を中心とした権力構造や研修医の過重労働など、実例をあげ医療の問題点を指摘している。
しかし、五十年前にくらべ医学に必要な知識は八百倍になっている現実の前では、医師諸氏にただただ頭を下げるほかない。しかも、医師である限り学者を続けなければならないのだ。ビジネスの世界では大学時代の知識どころか少年時代の知識でのさばっている大人物も多く見かける。ナノテク、バイオ、金融工学、ITなどのハウツー本を読んでいる経営者はまだましだ。おきまりのマクロ経済批評や流行の経営論を異口同音に口にするのみ。そして最後は政治に尻拭いをさせるさまを、医師達はどう見ているのだろう。