私を生んで、ありがとう
これは、エストニア出身の大関・把瑠都が初優勝のインタビューで、国技館まで駆けつけた母親に捧げた言葉である。この台詞は、母親への感謝を表す感動的なものではあるが、何だか違和感がある。あなたが日本人なら、日本語を母語として操るなら、違和感の正体は明らかだろう。そう、こういうとき私たちは、「生んでくれて、ありがとう」と言うのだ。実際に、このインタビューを伝える記事では、「私を産んでくれてありがとう」に発言が修正されている。
(インタビュー動画はこちら。3分辺りにこの発言がある)
外国籍の力士は驚くほど流暢な日本語を操るが、それでも外国語として日本語を習得した彼らには理解できない、理解が難しい日本語が存在する。本書は、外国人に日本語を教える過程で著者が感じた日本語の特徴、日本人もよく理解していない日本語の文法について、過去の文法研究の系譜を踏まえてまとめられた本である。
777円、208ページでコンパクトにまとめられた本書は、「中国語には自動詞と他動詞の区別がない」という雑学から、主語につける「は」と「が」の使い分けのような実践的テニックまでをカバーしている。多くの文法知識を解説しながらも、言葉を生み出す背景にある、その国の文化にまで話が展開するので、全く飽きさせることはない。
そもそも日本語の文法は、大きく2つに分けられる。日本人のための学校文法と外国人に教えるための日本語文法である。学校文法は古典の流れをくむ国文法として教えられ、日本語文法は日本語を話すために必要な知識として教えられるという。外国人相手に日本語を見つめてきた著者が扱うのは、もちろん、日本語文法である。そして、多くの日本人が必要とするのも、実はこちらの日本語文法ではないだろうか。
取引先への業務依頼のメール、会議の後の議事録、大事なプレゼンのための原稿。一日の仕事を振り返ると、いかに現代のビジネスマンが大量の文章を書いているかがよく分かる。そして、自分の仕事に対する周囲の反応を振り返ると、いかに自分の思ったこと、書いた文章の内容が相手に伝わっていないかが痛感される。徹夜で書いた議事録が上司のチェックで真っ赤になった、という経験をしたことがある人も多いはずだ。そんなビジネスマンにこそ、本書で日本語についてじっくり考えるてみて欲しい。
普段意識することなく使っている日本語にも、よくよく思い返してみると、奇妙な表現がたくさんある。例えば、結婚式の招待状にあるこんな一文については、どう思うだろうか。
この度私たち二人は結婚式を挙げることになりました。
結婚式を挙げることを決めたのは、他ならぬ二人自身である。神の見えざる手が働いて、いつの間に結婚式を挙げることが決められたわけではない。それでも、私たちは「挙げることにしました」よりも「挙げることになりました」を、自然な表現として受け入れる。
これは、日本語が欧米語のように人間中心の言語ではなく、自然中心の言語であるからだ。つまり、日本語は、人間が何かを「する」という表現よりも、結果として何かに「なる」という表現を好むということである。自然中心言語は日本語以外にも沢山あるが、この考え方が日本語文法へ影響を与えていることは間違いない。
明日から役立つ文法テクニックが身につきながら、日本語、日本文化についても考えを巡らせることができるお得な一冊である。