四川省に生まれ、四川大学で日本文学を勉強した著者は、さらなる日本文化の研究のために来日し、日本の大学で修士号、博士号を取得した。異国の地で、異国の言葉で、異国の文化についての本を上梓するほどにまで、この中国人女性研究者を駆り立てたのは、日本の生活を通して感じ続けた感嘆と疑問である。
来日して初めての正月、彼女を驚かせたのは友人に振舞われた屠蘇酒(とそしゅ)だった。日本でもお馴染みの正月のお屠蘇は、元々は1年の邪気を祓うための古代中国の習俗である。ではなぜ、本家本元の中国人がこの屠蘇酒に驚くのか。それは、現代の中国人にとってはこの酒が、1000年も前の詩文でしか知ることのできない、遠い世界のものとなっているからだ。著者は、日本に来て初めて屠蘇酒を目にしたという。
驚いたのは屠蘇酒だけではない。何気なく手に取った和菓子の包装紙には11世紀宋代の『愛蓮説』の一句が印刷されているし、酒屋をのぞけば中国伝説の人物の名前がついた日本酒もある。さらに、お茶や和服など、日本文化の象徴とも思われるようなところにまで古代中国が息づいていることに著者は気がついた。
外国にいるという感覚がない。書物の中の憧れの古代中国、追い求めた夢の中の古代中国に、私は戻ってきたような気がしてならない。
心地よい驚きの後には、大きな謎が待ち受けている。日本“独自”の文化であると教わった茶の湯を学ぶために、日本で茶道教室に通い始めた著者を戸惑わせたのは、抹茶を入れるための容器である茶入れの凡庸さだ。中国のどの田舎でも見かけるような粗末な陶壺が、なぜか日本ではもてはやされている。彼女には、どうしてもその美しさが理解できなかった。
茶入れの美しさを「侘び」の精神で説明されても、中国人である彼女にはその「侘び」が何を指すのかよく分からない。また、日本文化の粋である「侘び」を、正直、慎み深く、驕らぬことと説明されると、著者には「詫び」と儒家道家の世界が同じもののように感じられる。そもそも、「侘」という漢字は現代中国では使われることのない古代中国のものなので、ここでもまた中国と日本の繋がりを意識せざるを得ない。
知れば知るほど、調べれば調べるほど、「なぜ」が著者の頭に洪水のように押し寄せてくる。
なぜ、日本の茶の湯に多くの中国製磁器が取り入れられたのか?
なぜ、中国製の茶碗が日本の国宝となったのか?
なぜ、中国の影響を受けた日本の陶磁器に龍の文様が少ないのか?
日本人の多くが当たり前だと思っていたこと、常識だと考えていたことに、著者は次々と「なぜ」を投げかける。
本書で取り上げられるテーマは、青磁茶碗、天目茶碗、祥瑞茶碗、龍文。著書は、これらの茶碗にまつわるミステリーを、中国・日本の古典を縦横無尽に行き来しながら、推理小説のように解き明かしていく。この謎解きの進め方がエキサイティングなので、ここにあげた茶碗の名前を聞いたことのない人でも十分に楽しめる。
本レビューでは、日本の国宝茶碗8点の内の5点を占める天目茶碗の裏に潜む謎を取り上げる。天目茶碗とは、宋代(960年~1279年)に中国の福建で焼かれた黒磁茶碗であり、その名器の多くは日本で所蔵されている。天目茶碗の第一の謎は、この天目茶碗がその原産地中国にはほとんど残されていないということである。
国宝の天目茶碗5点は、曜変天目茶碗3点、油滴天目茶碗1点、玻玳天目茶碗1点から成っており、それぞれに多くの謎が残されている。特に天目茶碗の中でも最上とされる曜変天目は、世界に現存する3点全てが日本にあること、現代の技術をもってしても再現できないこと、そして、天下一の名碗と呼ばれる美しさから、その出自を巡ってこれまでも多くの議論がなされてきた。
そもそも、曜変天目とは日本で付けられた名前であり、中国の文献にその名は登場しない。日本で曜変天目と名付けられる前、その茶碗は窯変天目と呼ばれていた。「窯変」とは、窯の中で起こった変化のことである。つまり、曜変天目は、焼成中の窯内において起こる不測の事態によってのみ得られる、人智を超えた産物なのである。
この偶然のみがもたらす傑作が中国に1つも残されていない理由を探る鍵は、中国の陰陽五行思想にある。陰陽五行思想とは、全ての事象は単体ではなく相反する形で存在すると考える陰陽思想と、万物は水・火・木・金・土の要素からなるという五行思想を組み合わせた春秋戦国時代の思想である。
古代中国では、陶磁器の焼成に5元素の内の3要素(こねる土、加える水、焼き上げる火)のバランスと陰陽の調和(成人男女の協調、童男童女の協力)が必要であると考えられていた。また彼らは製陶を、古代の聖人である神農、黄帝、舜が始めた、陰陽五行の調和を象徴するものであると神聖視していたのだ。
このように調和が重視される神聖な作業に現れる窯変は、陰陽五行の乱れを示す凶兆と恐れられた。いかに美しくともこれほど不吉な品は朝廷に進呈することはできないと、当時の陶工たちは考えていた。そのため、窯変を見つけた者は必ずそれを毀し、窯変が起こったことを誰にも知られないようにしていた。偶然の力でしか誕生できず、誕生した瞬間から破壊される運命にあったことが、曜変天目が中国に1つも残されていない理由である。
曜変天目を巡る謎の追求は、まだまだ続く。1つの謎に答えれば、1つの新たな問いが与えられ、著者の「なぜ」はとどまることを知らない。
なぜ、破壊される運命の曜変天目が3点残っているのか?
なぜ、その希少な曜変天目の全てが日本にあるのか?
なぜ、日本人は「窯変」を「曜変」へと書き換えたのか?
回答へたどり着くためのヒントは、中国人が拝む「超越的な天」と日本人が畏れる「八百万の神」の違いにある。日中の自然に対する感覚の差が、この名器の運命を握っていたのだ。
茶碗の名前、色、形という具体的な要素から、その背景にある抽象的な文化の輪郭をあぶりだす著者の手法は巧みという他ない。本書の最後で彼女は、日本人を惹きつけてやまない問いにも挑んでいる。
日本人とは何であろう?
日本文化とはなんであろうか?
長い歳月で複雑に絡み合った日中関係が揺れる今、新たな日本が見えてくる。
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日本人から見ると、何とも理解しにくい中国人の行動を「貝の文化」と「羊の文化」という二面性から読み解く一冊。中国人の本音と建前が、その国の成り立ちからどのように形成されたかがうかがえる。新書にコンパクトにまとめられているが、興味深いトリビアも学べる盛りだくさんの内容である。この本のような視点から見れば、不可思議に思える中国人の行動も少しは分かりやすくなるかもしれない。
無印良品ボードメンバーを務めるデザイナー原研哉による、デザインという視点から見た日本論が展開される。ユーラシア大陸の文化の終着地、受け皿としての日本という概念をエンプティネス、簡素化というキーワードを軸に説明していくところが、本書の読みどころ。このリンクには、著者が本書のエッセンスを語った講演が収録されているので、こちらの内容が気になる方には本書がピッタリくるはず。デザイナーによる本らしく、装丁まで含めて、本棚に置いておきたくなる。
こちらは体育会系的センス・オブ・ワンダー爆発の一冊。この著者が挑戦する「なぜ」は、「なぜ、人は走るのか?」である。この謎のカギを握るのは、走る民族タラウマラ族。彼らに会うために、著者はマフィアのはびこるメキシコのジャングルを越えていく。この壮大な謎を追う旅の最後に著者は、我々は走るために生まれた、と確信する。ついつい、走り出したくなる一冊。私も読了後直ぐに、Vibramの五本指シューズを購入した。
入手性の悪い本をHONZで紹介するのは気が引けるのだが、本書は関連本から外せない。成毛眞が朝会で取り上げて以来、ずっと気になっていた一冊。
NHKディレクターとして、茶の湯に対する研究を独自で続けていた著者は、取材先の韓国忠清南道で日本の国宝「待庵」にそっくりの古民家を見つけて驚愕する。この国宝は利休によって生み出された日本独自のものと考えられていたからだ。NHKで放送されたドキュメンタリーを一冊にまとめた本だが、その放送にまつわる苦労や放送後の反響もまとめられている。利休の切腹の謎への考察も興味深い。「模倣」ではなく、「見立て」によって自分の中に取り込み、新たなものを創造していく文化のあり方を考えさせられる。著者は、62歳の若さで肺癌により亡くなられているが、本書は闘病生活の中で書かれた執念の一冊。
最後に、『中国と 茶碗と 日本と』で取り上げられている宋代の諺を引用したい。
万般皆下品、唯有読書高
すべては下品であるが、ただ読書だけは尊い
まるでHONZのためにつくられたような諺である。