ノリと勢いで旅立つ前に『旅を生きる人びと―バックパッカーの人類学』

2012年9月14日 印刷向け表示
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旅を生きる人びと―バックパッカーの人類学

作者:大野 哲也
出版社:世界思想社
発売日:2012-06-28
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自分の体験を手がかりに、雑食的に本を貪り読むと、自分の体験と本の登場人物が積んだ経験の境界線がわからなくなる。この本は読み終わった瞬間にその錯覚に囚われ、この本を読んだ前の世界に戻れなくなってしまった。

バックパッカー、古くは沢木耕太郎や藤原新也が有名だ。旅先でも彼らの本が伝説のバイブルとなり、バックパッカーの間で古本が交換され流通している。90年代は電波少年で一躍有名になった猿岩石。突然拉致され、目隠しで車にのせられるシーンは忘れられない。いざこざはあれどユーラシア大陸を横断し、バックパッカーブームの一翼を担った。

00年代はメジャーではないが、若者の心にあるのは高橋歩だろう。本書では自分探し界のカリスマとして登場する。私自身も旅先のニュージーランドで15歳の少年にその存在を教えてもらった。少年は15歳年上の彼女に誕生日プレゼントでもらったと自慢げに高橋歩の本を僕に貸してくれた。そんな私も大したことはないが、大学時代はバックパック旅行に汗を流した。

「大したことはない」というのは謙遜している訳ではない。バックパッカー同士の間で暗黙のランク付けがあるのだ。長期間旅を続ける、リスクの高い経験に遭遇する、ガイドブックに掲載されていない場所に行く、このような経験を積み重ねることでにバックパッカーとしてのステイタスはレベルアップしていく。それは初めて出会ったときにお互いの旅路を話し、有益な情報を交換する中で暗黙的に測定され、序列が決まっていく。

本書ではバックパッカーを4つに分類している。バックパッカー序列の一例になる。

移動型:可能な限り多くの国や町に行くことに喜びを見出すタイプ
沈潜型:移動にこだわらず、気に入った町に長期間滞在するタイプ。沈没。
移住型:旅を終えて日本に戻ることなく現地社会が気に入って移住する。
生活型:旅を生き続ける。社会復帰はすでに頭になく、定住する気も毛頭ない。

ご覧の通り、下に行くほど圧倒される。もちろん人数も減っていく。完全に分類される訳ではなく、たいていは旅のフェーズごとに型を変えていく。

バックパッカーは行き当たりばっかりの旅に魅力を感じるため、経験豊富な先輩からの口コミを通じて、旅路を決めていくことが多い。しかし、口コミで目指す目的地にはトラップがある。口コミに頼ることで、バックパッカー間での人気スポットに足を運ぶことになり、当初旅をはじめる前に予想していたドキドキや不安たっぷりの経験はそこには存在せず、本当の冒険心が満たされないのだ。

その一方でガイドブックに頼らず、自分でイニシアティブを持って旅を進める感覚が個人的に重要な経験として蓄積されていく。しかし、考えてみれば、そもそもこの地球で本当の冒険ができる場所はほとんど残されていないだろうし、たとえあったとしても、低予算のバックパッカーの身の丈にはあっていないだろう。

にしても、ベトナム政府はすごい。このようなバックパッカーの動態と心情を完全に把握し、したたかに計算し尽くした精巧な観光システムを構築した。そのシステムはバックパッカーが旅のイニシアティブを持っていると思えるチケットのパターンを開発・販売し、バックパッカー体験を一つのパッケージに仕立てたのだ。パック旅行のように商品化されておらず、冒険的でスリル満載な旅を求めたバックパッカーは悲しいかな、商品化されたリスクを消費し、アジア各国政府がつくった観光政策の手のひらの上で踊らされている。

手のひらで転がすのは政府だけではない。バックパッカーの定宿であるゲストハウスも口コミで決める習性を見抜いて商売している。人気宿に日本人が集まり、結果的に旅路はいくつかのパターンに収束してしまう。

日本人が集まるゲストハウスには日本語が話せる名物スタッフがいる。ヨルダンにはイラク日本人青年殺害事件の当事者となった香田さんのイラク行きを止めようとした日本語が話せるスタッフがいる。彼は語り部のように宿泊する日本人にその当時の話をすることを日課にし、それが口コミで広がり、皮肉にも日本人が集まる人気宿となっていた。

この口コミや人気スポットを行くだけではステイタスがあがらない。そしてバックパッカーは説得力のある経験を求めて、冒険心をエスカレートさせ、リスクに対して盲目的になっていく。リスクの高さを重視する転倒した価値観が共有されている空間においては、戦場は避けるところではなく、積極的に行くべきところになる。

前述の香田さんも真正のリスク経験を求めて、戦争中のイラクに足を運んだと本書では分析されている。しかし、彼がイラクへ旅したルートは玄人バックパッカー間では「定番ルート」であった。事件前には同様の経験を求めて8人以上がイラク潜入を果たしており、ここでも商品化されたリスクを消費していたことになる。

成功もあれば、うまくいかないこともあり、それが旅人の間で語り継がれていく。一方で社会的認識としては、旅先の事件がニュースとして報道されることで、バックパッキングはスリル満点の旅であるというイメージが補強され、リスク体験の価値が向上していく。

本当の旅をしたい人々にとっては受難の時代だ。

バックパッカー経験者は旅の記憶を鮮明に思い出すきっかけになり、経験を学びほぐすエクササイズにもなる。旅先で出会った人に連絡を取りたくなる。

人生に迷って、バックパッカーという選択肢を検討中に方はこの本を読んで判断してほしい。けっしてバックパッカーはかっこいいものではない。

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ニッポンの海外旅行 若者と観光メディアの50年史 (ちくま新書)

作者:山口 誠
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事件の裏側に迫った一冊。著者自身もバックパッカーであり、何冊もの本を書き上げている。

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