シャネルNo.5。1921年に売り出されて以来90年以上、香水の代名詞である。現在でも「30秒に1本」売れ続けているのだそうだ。
貧しい行商人の子として生まれ孤児院で育ちながら、その美貌と才気で上流階級の男たちの心をつかみ、「フランスのエレガンス真髄」にまでのし上がったココ・シャネル。「自分で稼ぎ、自由に愛し、男の指図を受けずに望むままに生きたい、という女性たちの欲求と女性解放の旗頭」として、ごてごてと飾り立てたドレスの中から女性たちを救い出したココ・シャネル。何事にも果敢に挑戦し、勝利を勝ちとる英雄的女性の伝説…
しかし、一方で語られてきたように、シャネルにはナチスの協力者としての顔があった。
シャネルの死後まもなく、その生涯と業績をたたえる公式展「シャネルに捧げるオマージュ」が1972年10月にパリで行われると発表されたが、開催直前に延期を余儀なくされる。ナチスによるパリ占領時代にドイツ諜報機関のエージェントだったディンクラーゲ男爵と愛人関係にあったことが暴露されたのだ。
当時、ドイツ兵と関係を持った女性たちは「水平協力者」と呼ばれた。水平→横になる→寝る、という連想だ。パリ解放時、頭を丸刈りにされ、衣服をはぎ取られた女性たちが路上で引きずり回される映像を見たことがある。4年にわたり抑圧され続けた市民の怒りは対独協力者たちへの激しい怒りとなり、数日間、復讐の嵐が吹き荒れた。多くの無実の人々まで含め、リンチを受け、中にはその場で射殺された者もいた。ドゴール政権が秩序を回復した後は特別法廷が設置され、対ナチス協力罪で多くの人々が裁かれた。
しかし、罪を逃れて逃げおおせた者もあった。その数は男女合わせて数万人に及ぶという。とはいえ、よりにもよって、フランス社交界の星であるシャネルがナチスのスパイと関係を持っていたとなれば大変なスキャンダルである。なんら処罰されることもなく社会的に追放されることもなく、称賛に包まれたまま生涯を終えたというのか。いやそんなことは信じられない。愛人・ディンクラーゲ男爵がナチスのスパイだというのは本当なのだろうか。スパイだったとしてもシャネルはその事実を知らずに恋をしていただけなのではないだろうか。
こうした議論に決定的な結論をもたらすのが本書である。著者のハル・ヴォーンは、冷戦時代に秘密情報活動に携わり、CIAの作戦にも関わった経歴をもつジャーナリストだ。インテリジェンスの世界を知る著者が、その嗅覚を駆使して仏・独・英・米・ソ各国の機密解除文書をふくむ公文書を丹念に掘り起こし、シャネルとその愛人・ディンクラーゲがどんなミッションに関わったのか、人脈・資金の流れまで明らかにしている。ナチスによる占領時にパリからベルリンへと持ち去られ、ベルリンの陥落により今度はモスクワへ移され、1985年に再びフランスへと返還されたフランス諜報機関の文書も発掘された。それらにはシャネルの「ドイツのエージェント」としてのエージェント番号とコードネームも記載されていた。どこを掘れば目指す情報があるのか、それら個々の情報をどう再構築すれば像が浮かび上がるのかをよく知っているのであろう著者が、淡々と、着々と歩む「謎解きの道程」は、説得力にあふれている。
戦時下のシャネルの姿を追う背景に浮かび上がる「上流・特権階級の空気」も興味深い。「反ナチス」以上に強い、「反ユダヤ」・「反共」の意識によるヒトラーに対する楽観や、英・米・仏対ナチスドイツという国家の対立構造を越えて根を張る上流階級の人間関係は、占領下も戦後も、かれらを守り免責する力として働いた。ナチスの将校たちと親しく交わり、困窮を極めたパリ市民が飢えと寒さに苦しむときも豪華なディナーを楽しんでいた上流・特権階級の者たちは、戦後一転、対ナチス協力の罪から逃げおおせると、じわじわと歴史の記憶を書き換えたのである。
ココ・シャネルという一人の女性の人生を通して、ナチスが席巻した時代に色濃く存在した「空気」を知ることが出来るオススメの一冊である。