「食堂車」――この言葉に私はそそられた。
動く乗り物でなにかしら食べるのが好きなのだ。乗車が2時間以上となれば、必ずなにか食べねばと思う程である。なにしろ列車で駅弁を食べたりビールを飲んだりすると、なぜなのか得をした気持ちになる。
九州新幹線のデザイナー水戸岡鋭治の「気」と「志」——サブタイトルはこの通り。水戸岡さんってNHKの「プロフェッショナル」に出てた、九州新幹線で話題になっている人か。それくらいの気持ちでこの本を読み始めた。
その「花より団子」な動機は、鮮やかに裏切られることになる。
聞けば、鉄道会社で外部のデザイナーを日常的に立てているのは、JR九州くらいだそうだ。列車、中でも高速で走る新幹線のデザインは専門的知識がないと無理のようにも思えるが、どうなのだろう。だが、本書を読むと、水戸岡が列車のデザインを手がけるようになった理由がよくわかる。なにしろ最初に水戸岡が列車の仕事を始めた当時、発注したJR九州の状況は凄まじく、まさに「背水の陣」だったのだ。
1987年、国鉄はJR6社(北海道、東日本、東海、西日本、四国、九州)とJR貨物の7社に分割民営化された。本州3社は当初から黒字だったが、3島3社は乗客数減少の中、火急の営業改善を必要とする厳しい状況だった。当然ながら大企業病に悩んでもおり、初代の石井幸孝JR九州社長は社員の意識改革のため、大ナタをふるわざるをえない。
その中で、前例のない列車のデザインを石井は水戸岡に託す。おそらくデザイン云々の前に、外の風を入れたいという思いもあったのだろう。設計を外に任せるということには、内部の抵抗勢力とまともにやりあうということでもあった。
同時に、逆境だからこそ、なんでもやれるチャンスの時期だったのかもしれない。読み進めているといつしか、「JR九州のプロジェクトX」のごとき様相を呈してくるので、頁をめくる手が止まらなくなった(おかげで電車を3駅乗り過ごしたほどだ。タクシー代に9390円<高速代除く>も費やすという、昨日の土屋敦のごとき愚挙はおかさなかったものの、危ないところであった)。
著者の一志治夫は、人物像に肉薄する文章の丹念さや読みやすさはもちろんだが、なによりテーマの選択眼にはいつも唸らされる。このことを再確認する一冊にもなった。
「鉄道の風を九州から起こせ」を合言葉に、丁寧な職人的仕事で信頼を勝ち得た水戸岡は、JR九州にいつしかなくてはならない人材となっていく。単に人を運搬するハコではなく、建築の要素を持ち込むことで、「走るホテル」のかたちにしたのだ。
たとえば、最初の大仕事となった787系特急「つばめ」の列車デザインの過程で、水戸岡は採算を考えれば不要となる「食堂車」にこだわる。乗車時間の短縮と経営合理化の波の中、時代の遺物がなぜ必要か。
――お金がかかるばかりで儲かりはしない。でも、「儲からないもの」も世の中にはあるべきだろう。いわば「広場」として、飛行機も車も持ち得ない、列車だけに可能な空間があってもいいじゃないか。「儲かること」を否定することで、成功する。そんな話を聞くことはいつだって痛快だ。
ちなみに、その間に水戸岡がデザインした列車たちは、ここで(JR九州HP「好きな乗り物をクリックしてみよう」)、その「作品」の多くを動画で見ることができる。
例をあげればきりがないが、私が今乗ってみたいものをあげておこう。
じゃ、じゃ~ん。ヒマなので順位をつけてみた。
(乗ってみたいだけの勝手な私なりの順位で、区間は主なものです。列車には詳しくないのですが、お許しください)。
1位;「海幸山幸」 日南線(宮崎~南郷)
地元の飫肥(おび)杉を内外装にふんだんに使った、地産池消な木の列車。
2位;「いさぶろう・しんぺい」 肥薩線(人吉~吉松)
霧島連山の絶景が楽しめる。日本三大車窓のひとつ(だそう)。
3位;「ゆふいんの森」 久大本線(博多~湯布院)
森の中を走る様子が美しい。湯布院にこれで行ってみたい。
4位;「SL人吉」 肥薩線(熊本~人吉・運転日限定)
SLと聞くとやはり一度は乗ってみたい。なにより食堂車つき。
5位;「指宿のたまて箱」 指宿枕崎線(鹿児島中央~指宿)
駅到着時に煙(ミスト)がドア上部から出るらしい。凄……。
6位;「A列車で行こう」 あまくさみすみ線(熊本~三角)
Aは天草のA。BGMはもちろん列車名の曲。
7位;「ビートル」 高速船(福岡~韓国の釜山)
最高速度は時速80キロ。船で韓国まで渡ってみたいので。
8位; 新800系・800系新幹線「つばめ」「さくら」
九州新幹線(博多~鹿児島中央)
早い列車はあまり好きではないが、一度乗ってみたい。
そして、ついには、九州新幹線のデザインへと話は進んでいく。「今度の新幹線は九州国の新幹線なんや」と、担当者が切々と訴えたこの新幹線。どうなったかはご存知の通り。ただし、その間のドラマを知りたければ、一読あれ。
後日談だが、水戸岡の集大成となる列車が2013年10月に走るという。クルーズトレイン「ななつ星 in 九州」だ。
挑戦的な仕掛けを施した寝台車だそうで、「走る高級旅館」と言えるようなものらしい。定員わずか28名のみ、3泊4日(ないしは1泊2日)で九州を周遊するとか。食堂車もどんなものになるのか、わくわくする。アガサ・クリスティの小説のような、華麗なる“社交”が繰り広げられるのであろうか。
妄想、万里を走る。列車は、楽しいものなのだ。
~おまけ~
① 本書では触れていないが、九州新幹線(鹿児島ルート)の全線開通は2011年3月12日。東日本大震災の直後のこと、制作されたCMの放送がままならなかったと聞く。情熱が伝わる作品で、話題になった。
② 水戸美術館にて、「水戸岡鋭治の鉄道デザイン展 駅弁から新幹線まで」が開催中だそう(2012年9月30日まで)。