人類200万年の「戦争の謎」のほとんどに答えを出そうとする野心的な本書は、上下巻合わせて996ページ、総重量1.2kg、翻訳者13名、そして7,560円という規格外のボリュームである。全17章から成る本書は3部構成となっており、それぞれが「戦争は人の本能か、それとも文明による発明か?」、「戦争と文明の発展はどのように相互作用したのか?」、そして「近代化は戦争をどのように変質させたのか?」を主題として、戦争にまつわる多くの謎に光を当てていく。
そのボリュームに比例して、本書の考察対象は途方も無く広いものとなっている。時間軸で見れば、武器すら持たない狩猟採集民時代から核・生物兵器によるテロの恐怖に怯える現代まで、地理的に見れば、先史時代の手がかりを残すオセアニアや南北アメリカから世界の覇権争いを主導したユーラシア大陸まで、学問領域を見れば、人類の本能を辿る人類学から制度と現象の因果関係を考察する社会・政治学までをカバーしている。
人類は、その誕生から現在までの約99.5%の期間を狩猟採集民として過ごしてきた。この事実に注目することで、第一部「過去200万年間の戦争‐環境、遺伝子、文化」では人間の本質と戦争がどのように関わってきたかを解き明かしていく。
ホッブズか、ルソーか
戦争は、人類の本能に根ざした自然なものか、それとも文化によって発明されたものか。
2人の哲学者からこの問いへの有力な答えが提案されている。
その1人はトマス・ホッブズ。ホッブズは、「自然状態」における人間は獲得、安全、名誉を求めて殺人的に争い、万人の万人に対する戦争を行うと考えていた。
もう1人はジャン=ジャック・ルソー。ルソーは、狩猟採集先住民は豊富な資源を平和に活用しており、戦争を含む悪の全ては農業、私有財産そして国家の強制力によって初めて生起するのだと主張した。
正反対な、しかし双方に説得力を持つ、この2つの回答のどちらが正しいかを知るためには、「自然状態」にある人類、つまり、文明以前の単純狩猟採集民が戦争を行っていたかを確かめる必要がある。しかし、文明以前である彼らは自らの記録を残していない。また、西洋人による狩猟採集民との接触記録の多くは、その接触自体が狩猟採集民の生活・行動に影響を与えており、純粋な「自然状態」の記録とは言えないものとなっている。つまり、文明を持たない民を文明によって記録・観察することには、2つの物理量を同時に測定できないという不確定性原理のような問題が付きまとうのだ。
ここで著者は、この分野であまり注目されてこなかったオーストラリアのアボリジニ研究を取り上げる。オーストラリアには農耕民や牧畜民が全く存在せず、合計30万人にも上る純粋な狩猟採集民が平均500~600人の集団を作り、分散して暮らしていた。さらに、西洋人による入植のタイミングが1788年と非常に遅く、入植のスピードも非常に緩やかだったため、西洋の影響を受けていない集団が20世紀においても多数見られた。そのため、単純狩猟採集民の姿を伝える貴重な研究結果が残されているのだ。
アボリジニは他の地域では2万年前に発明されたと言われる弓さえ発明していなかった。弓は「戦争を生み出した武器」とまで言われる重要な武器だが、アボリジニの中で弓の不在は戦争の不在を意味しなかった。そう、アボリジニは多くの集団内、集団間での戦闘を定期的に繰り返していたのだ。オーストラリア北部のある部族の研究によると、戦争は最も重要な社会活動の1つであり、大半の戦闘は死んだ親族の仇討ちだったという。具体例を見れば、大規模な紛争で80人~100人が1回の攻撃で殺された、30人から成る集団が1人を残して全員「穴に埋められた」という記録が多数ある。
オーストラリアだけでなく、アメリカ北西部からアラスカにかけて住む純粋な狩猟採集民において頻繁に起こった凄惨な戦争も紹介されている。本書では、異なる地域、異なる部族の証拠がこれでもかと積み上げられている。37の文化圏における99の狩猟採集民の比較研究は、全ての集団に戦争の経験があることを明らかにしている。
これらの研究を象徴するデータがある。それは、「自然状態」における狩猟採集民の成人同士の暴力による死亡率が約15%(男性では25%)にも上るというものだ。アメリカ南北戦争では、人口の1.3%が殺されるか負傷しており、第一次世界大戦ではフランスとドイツの両国で約3%の人口が死亡したとされている。これらを比較すれば、「自然状態」の数値がいかに高いかがよく分かる。しかも、この「自然状態」の数値は特定の戦争期のものではなく、長期に渡る平均的な数字である。
なぜ彼らはこれほどの死の危険を冒してまで戦闘を止めなかったのか。著者はその動機を食料と生殖を求める根源的な原因と根源的原因に関連する二次的な原因(支配、復讐など)に分けて進化論の枠組みで説明する。また、「自然状態」において戦闘が頻発する理由を「囚人のジレンマ」と「しっぺ返し戦略」で、戦闘が際限なくエスカレートしていく理由を「赤の女王効果」でまとめあげる。
膨大な証拠を巧みな論理で積み上げていくこの部分は本書のハイライトの1つである。
本書はここから1万年前に発明された農耕を契機に、人類と戦争がどのように変化していくかを解き明かしていく。第二部「農業、文明、戦争」では徐々に考察の領域が人類学、進化生物学から考古学、歴史学へと移っていく。
戦争が国家を作り、国家が戦争を作った*
狩猟採集用の道具・技術の進歩によって、人類はより効率的な生存手段を獲得し、豊かな環境への定住を始めた。そしてついに、人類の生活を激変させる農耕が発明された。農耕によって支えられる人口密度は狩猟採集のそれの数倍、灌漑を用いれば狩猟採集との差は数百倍にもなる。この恩恵を受けて、人類は200万年経験したことのないレベルでの大規模集団生活を送ることになる。
農耕集団の規模が拡大していくにつれ、蓄積可能な作物、家畜も増えていく。ここで農耕民を悩ませたのは、機動力に富んだ狩猟採集民による家畜をターゲットとした襲撃である。この外部の脅威から身を守るために、農耕民たちはより集団の密度を上げ、塀や壕などの大規模防御構築物を用いて集団を外部から分離することで、安全保障の確度を高めた。
ここでも著者は、インディアン、ヤノマミの古代集落やケルト人による地中海への侵入、西アジアの騎馬遊牧民の躍進等の膨大な例を挙げながら、人類の集団がどのように部族社会から首長社会、そして国家へと変遷していったかを解説していく。
この第二部では本当に多くの近代以前の戦争事例が紹介されている。これ程多くの事例を取り上げる理由を著者は以下のように説明する。
それぞれの国家は異なる居住地域や社会環境において進化してきたのであり、何らかの異なった進化の過程をたどっている。しかし、環境による制約と人間の自然状態によって、それらの間には本質的に限定された多様性と重要な類似性がもたらされる要因となっている。
この試みは成功し、本書に多くの示唆をもたらしている。
例えば、都市国家形成の主要な動機は防衛にあったこと、国家の全人口の1%以上を職業軍人として常時維持することは不可能なこと、封建制の確立には馬兵(騎馬兵と騎兵)が不可欠であったこと、ヨーロッパで大帝国が誕生しなかった理由はその地形にあること、帝国はそのシステム自体に辺境への弱さを内包していること等、紹介しきれない驚くべき考察が示されている。
ここでは、国家の形成によって戦闘による死亡率が減少したことを強調したい。国家は国民から「みかじめ料」を取り、暴力を独占することで集団内に(ある程度の)安定をもたらすことに成功した。国家による暴力の独占は、集団間の争いにおいてかつてない規模の被害をもたらすこともあったが、それはあくまでも稀なことであり、時間軸を敷衍すれば、国家は「自然状態」よりも安定した社会を作りだしたと言えるのだ。
狩猟採集民の時代から、農耕の発明、国家の形成を経て、本書の舞台はついに近代へと至る。第三部「近代性‐ヤヌスの二つの顔」では、火薬、航海術、活版印刷という3つの革新がもたらした近代の影響とこれからの人類と戦争の関係を考えていく。
近代化は人類を戦争から解き放つか
グローバル規模での交易体制と商業資本主義の相互作用で成長したヨーロッパを中心として、人類は前例のない富と力を経験することになる。工業化、産業革命が農耕の発明と比べても特異であると言えるのは、それが人類を「マルサスの罠」から解き放ったからだ。人類は、資源を奪い合うゼロサムゲームを行うより、新たな価値を生み出す活動に精を出す方が「割に合う」機会が多くなる時代に突入した。
技術発達の頂点の1つである核兵器は戦争の抑止力足りえるのか、民主主義は全体主義よりも戦争を放棄する蓋然性が高いのか、テロの恐怖が顕在化する世界で人類は今後どのように向き合っていくべきか。壮大なスケールで語られる本書は最後までそのテンションを下げることなく、密度の濃い議論を展開し続けていく。
「戦争の謎」を解き続けてきた著者は最後に、謎を解くための鍵を披露する。その鍵とは、“人類にまつわる「戦争の謎」など存在しない”ことを理解することだ。暴力を伴う競争は自然界全てを支配する現象であり、人間もその例外ではない。今後も人類は戦争と共にある。ウィンストン・チャーチルはこう述べている。
戦争よりも恥辱を選ぶことは、恥辱を、続いて戦争を生みかねない
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上下巻の壮大なスケールで人類史の謎に迫ると言えば、この本を忘れることはできない。『文明と戦争』の本文中でも、巻末の解説論文でもこの本が言及されている。原書の発売から15年が経ち、最近文庫化されたが、その内容は古びることはない。「なぜヨーロッパが世界をリードできたのか?」という問いに、あらゆる学問分野を活用しながら答えていく。
『文明と戦争』でも重要な概念となっている「赤の女王効果」についての著作『赤の女王―性とヒトの進化』を持つマット・リドレーによる本書は、我々がいかに今でも繁栄の道を進み続けているかを説明する。長期間に渡る多くのデータを比べてみると、現在の人類の繁栄振りには驚くしかない。どの時代よりも、今この時代に生まれたことに感謝したくなる。合理的な楽観主義に近づく一冊。
『文明と戦争』とは対照的に、極ミクロ的視点から戦争のリアルを描き出す。“人を殺す”と言うことから遠く離れてしまった我々には想像もできない現実がそこにはある。「自然状態」では闘争が溢れているかもしれないが、それは、人類が殺人マシーンであることを意味しない。第一次世界大戦の前線という極限状態でも、銃を発砲できずに死んでいった兵士は想像以上に多い。元軍人による生々しい一冊。
戦争・戦略論の世界的権威である著者サー・マイケル・ハワードは、『文明と戦争』の著者アザー・ガットのオックスフォード大学での指導教官である。この『ヨーロッパ史における戦争の』は短編の名著と呼ばれており、コンパクトな内容にヨーロッパ1000年の戦争の歴史が凝縮された教書的存在となっている。ヨーロッパ社会がいかに戦争に影響されて形成されたものかがうかがえる。
*本文中の「戦争が国家を作り、国家が戦争を作った」は、社会学者チャールズ・ティリーが近代ヨーロッパ国家勃興について考察した言葉