『この甲斐性なし!といわれるとツライ』日本の罵倒語

2012年8月20日 印刷向け表示
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日本語の語源を解説する書籍は書店でもよく見かけるが、本書は悪態・罵倒語に絞ってとりあげ、使用法の変遷を振り返っている。なぜその言葉が使われるようになり、使いつづけられるのか。新聞や、各種文学作品、古事記や日本書紀などの古典、国会会議録などから用例を地味に拾っている。その地味な作業と対照的に目次は過激な文言が並ぶ。罵倒語の本だから当然といえば当然だが。

序章-バカヤロー!、1章ーブスとババアと淫乱と、2章ー弱くて臭いは甲斐性なし、三章ー犬は畜生、猫は泥棒、4章ー鼻くそほじって、クソ食らえ

目次を読んでいるだけで、誰かを罵倒しているいる気がしてくる。眺めているだけでもすごいが、声に出すともっとすごい。「鼻くそほじって、くそくらえ」など育ちがすこぶる良い私など言葉に出すのをためらってしまったほどだ。2章と4章を組み合わせて「弱くて臭いは甲斐性なし。鼻くそほじってくそくらえ」などと妻に叫ばれた日には三日くらい立ち直れないのではと夢想してしまう。

構成としては、序章をのぞき、各章4つずつの罵倒語(淫乱、くさい、大根足、犬畜生、クソ食らえなどなど)に対して前述したように地道な用例紹介で歴史をたどっている。 おもしろい用例が豊富なのだが、朝っぱらから破廉恥な罵倒語を取り上げるのも気が引ける。とはいえ、いくら本書を探しても罵倒語しか見当たらないのだから、ここでは罵倒語の中では私のお気に入りの「豚野郎」を紹介したい。

本書でも触れているが、「豚野郎」といえば数年前に、落語家の元妻が別れた夫を「金髪豚野郎」と罵って話題になった。私も、豚野郎などという言葉は鶯谷のSMクラブの女王様以外でも使うのかと感心した記憶がある。金髪と豚野郎を組み合わせるという斬新さもあったが、「豚野郎」という言葉の罵倒力がやはり大きかったのだろう。

その豚野郎の歴史は実は新しい。大正期に刊行された『モウパッサン全集第13巻』(天佑社)の「モレンの豚野郎」(現代ではモランの豚野郎と訳される)という作品に見られるという。婦女暴行事件を起こしたモランという男が豚のように好色だという意味で「モランの豚」という呼び名が町の人々の間では定着したという話だ。話の本筋とは関係ないが、モランが金髪なら文字通り金髪豚野郎だったわけである。

ここでの問題は原題「モランの豚」には野郎の文言がなく、明治期に日本に紹介されたときの邦題にも野郎の二文字はなかったことだ。著者は、江戸から明治にかけて名詞に野郎をつけて蔑称にするケースが散見されており、豚食の普及とともに罵倒語としても「豚」が認知を得たのではないかと指摘している。その後、豚を例えに使う言葉は主に罵倒語として使われるようになり現在に至るという。

余談だが、肥満体の人を豚と呼ぶ行為は戦国時代にすでにあったようだ。東北の名将として知られた最上義光の部下に裸武太之介(はだかぶたのすけ)と呼ばれる武士がいたという。ただ、現在とは「ぶた」の意味が若干異なる。「武太之介」は勇猛だが巨体に合う武具がないためいつも裸で出陣していた。「はだか」と仲間には呼ばれていたが、義光がその武勇ぶりを評価して「武太之介」の漢字をあてたというわけだ。ネガティブな印象はなく、賞賛の意味をこめて「ぶた」と呼ばれる時代があったのである。いまなら、「きみ、仕事できるねー、ぶーちゃんと呼ぶよ」と言う上司がいたものなら、確実にパワハラで裁判沙汰だ。むしろ、上司が豚野郎呼ばわりされるのは間違いない。

朝から豚野郎を11回も連発してしまったが、本書はどこからでも読み始めることが出来るのでお盆休み明けの寝ぼけた頭にも最適である。汚い言葉のオンパレードのためか言葉について解説しながらここまで知性の香りが漂ってこないのも珍しいが、それが逆に、私のようにこうした言葉についての本を避けてきた人間にはよみやすいのかもしれない。また、amazonのレビューでは実用的ではないといった趣旨のレビューが載っているが至極実用的である。例えば、私がお盆休暇に家族をどこにもつれていかずに、もしくは連れていっても、文句を言われ、挙げ句の果てに「この甲斐性なしが」と妻にいわれたとしよう。ぐうの音も出なかったとしよう。あくまでも例えばの話である。

この本を読めば、「君こそ甲斐性なしだ」と反撃するのもありなのである。本書によれば、甲斐性なしとは特段、男にだけ向けられる語でもないのである。ただ、それを言ったところで、おそらく何も解決しない。状況は悪化する一方だ。本書を読んで「あの甲斐性なしが」と心の中でつぶやいて溜飲を下げることををおすすめしたい。罵倒されたときに相手を心で嗤うというおしゃれな術を学べるなんて、何とも実用的ではないか。

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