大きな絶望に出会ったとき、人は「せめて」という希望にすがる。“せめて生きていて”が、“せめて見つかって”になるまで、どれほどの心の葛藤があるだろうか。2011.3.11、東日本大震災の直後、津波にさらわれた家族や恋人を探し、多くの人たちはその“せめて”という言葉を口にした。
『おもかげ復元師』の著者であり主人公である笹原留似子は、岩手県北上市を拠点に「桜」という小さい納棺の会社を営んでいた。職業は『おくりびと』という映画で一般的になった納棺師である。葬儀社に依頼されてご遺体に直接向き合う仕事である。ただ普通の葬儀の場合と少し違うのは「参加型納棺」という商標登録を取っていることだ。笹原流哲学とはこうだ。
悲しみと苦しみのなかにあるご遺族のなかに私も入れていただいて、大事な亡き人のお話を聴かせていただきながら一緒に泣いて、ときには思い出話で一緒に笑って。感情を合わせるところから、納棺を一緒にさせていただくのが『桜』の納棺なんです。ご遺族のお仲間に入れていただくという感覚です(『おもかげ復元師の震災絵日記』あとがきより)
残された人が死を受け容れる、そのために笹原がこだわってきたのは「復元」であった。自らを「復元納棺師」と名乗ることさえあるという。故人がどんな状態であっても、生前と同じ表情に戻す。できるだけ微笑みをたたえさせ、硬直を解き、顔色やつやを整え、においがでないようにあらゆる技術を駆使するのが彼女の仕事である。
東日本大震災から9日後。知り合いの僧侶と会社のスタッフとともに陸前高田に立った笹原は、想像を絶する被害に言葉を無くした。遺体の安置所である中学校の体育館には納体袋に入れられた遺体が並べられ、顔を確認できるように上部だけが少し開かれていた。冬とはいえ死後変化が始まっていた。今なら自分はもとのお顔に戻すことが出来る。笹原がボランティアとして「復元」を決心したのはその直後、一人の女子高校生の遺体をきれいにした直後だ。「守ってやれなくてすまん」と父親が泣き出した。泣くことは大事、家族の会話が戻ってきた。「せめて」の一番小さな望みが聞き届けられたとき、人は泣いて穏やかな気持ちが戻ってくる。
どのような技術であるかは、具体的に記されてはいない。しかしゆっくりと顔に触れマッサージをし、砂や汚れを根気よく取り除き、表情筋にそって形を整え、傷や欠損部分は特殊な部材をあてがい、ときには4時間5時間をかけて生前の姿に復元していく。一か月以上経ってから見つかった遺体でさえ、できる限りの復元を行った。それができるのは、日本でただひとりらしい。300人以上の遺体の復元をした笹原は今年、社会に喜びや感動を与えた市民に贈られる「シチズン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。
本書の前半では「人は死ぬとどうなるのか」「人は死とどう向かい合うのか」「生きていく人たちの心構え」などが順々と説かれていく。死と向き合う仕事に携わる人だからこそ、突然の悲しみへの対処法がわかりやすく描かれる。
この本を読み終わったら、ぜひ同時に出版されたこちらも手に取ってほしい。現場で彼女が実際に描いたスケッチブックである。間違ってもこちらを先に見たらいけない。ただただ、涙で先が読めなくなる。
しかし『おもかげ復元師』を読んだ後だと、なぜだろう、涙より暖かい気持ちがわきあがってくる。見も知らない人たちなのに、笹原留似子という納棺師へ一緒に感謝の思いを伝えたくなる。
人は必ず死を迎える。「せめて」最後だけは、と中島みゆきではないけれど、美しく逝きたいと思うのだ。今夜、NHKスペシャルで特集番組が放映される。
http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0817/
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悲しんでいい―大災害とグリーフケア (NHK出版新書 355)
- 作者: 高木 慶子
- 出版社: NHK出版
- 発売日: 2011/7/7