ヒトのDNAを用いる研究では、匿名化や厳重な保管など、サンプルの扱いに厳しい制限がかけられている。個人のゲノムが遠からず千ドルで読めるようになろうかという時代である。どのようなものを食べているかで、どのような人間であるかをあててみせる、と、『美味礼賛』のブリア=サヴァランは言ったが、それどころではない。ゲノムがわかれば、その人のいろいろなことがわかってしまうのであるから、そういった規制も当然のことだ。
ゲノムが設計図としてヒトを規定するのに対して、脳は “ヒトの本質を担う特別の器官” と捉えることができるのではないか。そうであれば、ヒトの脳研究はゲノム研究と同様に慎重でなければならない。そういった観点からヒトの脳機能研究をどう進めるべきかを考えるべき、というのが、日本を代表する生命倫理学者の一人である著者・橳島(ぬでしま)次郎の問題提起だ。そして、その方法論として選ばれたのが、温故知新的なアプローチである。
「ロボトミー」は、いまやおこなわれなくなった手術であるから、聞いたことのない方も多いかもしれない。ミロス・フォアマン監督の名作『カッコーの巣の上で』で、ジャック・ニコルソンが、というと、あぁ、あれかと思われる人もおられるだろうか。ロボトミーだけでなくいろいろな術式があるが、難治性の精神疾患の治療のため前頭葉にメスを入れる精神外科手術、すなわち、『精神を切る手術』の歴史を徹底的に調べあげ、その窓を通じてヒト脳研究の倫理を考えてみよう、というのが、この本なのである。
精神疾患に対する薬物療法がまったくなかった時代、「精神外科」は『ロボトミスト』とまで呼ばれたウォルター・フリーマンによって確立され、有効な治療法として広められていった。1936年に、最初にこの治療法の有用性を見いだしたポルトガルの医師エガス・モニスは、「ある種の精神病に対する前額部大脳神経切断の治癒的価値の発見」という理由で、1949年、ノーベル賞に輝いているのであるから、少なくとも当時は画期的な治療法であったのだ。
学問的裏付けがなかったわけではないが、いまなら倫理委員会で決して認めらるはずもない極めて薄弱な科学的根拠で、モニスはこの治療法を開始している。そして、治療効果が認められた例が60%以上とされているものの、悪化させる例が10%以上もあったにもかかわらず、他に治療法がなかったこともあり、急速に広まっていく。前頭葉の機能がわかって、精神外科が開発された、というよりは、むしろ、ロボトミーの「治療効果」から前頭葉の機能がわかってきた、という方が正しいような進み方なのだ。
50年代の半ばになり、「薬によるロボトミー」である向精神薬が開発され、ロボトミーのような精神外科は下火になっていく。同時に、“危険かつ有害で、効果のない治療法であり、暴挙であった” という否定的な評価が下されるようになっていく。しかし、わが国とは異なり、欧米では精神外科は公式には否定されることなく、定位脳手術-脳のある特定の部位のみを破壊する手術-へと置き換えられていった。さらに、最近では、破壊するのではなく、電気的あるいは磁気的刺激をおこなうことにより治療する脳深部刺激法(Deep Brain Stimulation、DBS)へと進歩を見せている。
日本でも第二次世界大戦後、精神外科治療が広くおこなわれるようになった。欧米とは異なり、外科医ではなく、精神科医が手術をおこなうことが多かったというのは、かなり恐ろしい感じがする。そして、日本での精神外科非難は、学生運動と時を同じくしたためもあって激烈なものとなり、 “否定的スティグマ” すなわち “精神外科=ロボトミー=禁断の悪” というスティグマだけが強固に定着してしまい、不幸なことに、客観的な評価をうけることなく現在にいたっている。
いろいろな角度からの考察をふまえ、“臨床医学の功利的姿勢に基づく脳への介入は、どこまで認められるか。” は、 “脳がどれだけ特別な存在だと考えるかによって違ってくるだろう。” としながらも、橳島は “ES細胞が「ヒトの生命の萌芽」である胚(受精卵)を壊してつくられるものだから、それに相応しく尊重されるべき” なのと同様に “大脳皮質は「人の意識の萌芽」であり、その地位に相応しく慎重に扱われるべき” と結論する。
“まさに外野から、ああしてはいけない、こうしてはいけないと研究者に注文をつけるだけで自己満足してきたのが、これまでの生命倫理ではないか。こうしたことを続ける限り、倫理にも科学にも良い未来はないと思う。” と自省しながら、“相互変革を求めるダイナミックな科学と社会論を、やっていく必要がある” と説く。そして、“精神外科だけが問題なのでなく、「劇的な治療」を求める医学界と社会全体の体質も問うべきだ” と考える橳島は、決して「有用性」だけを理由にしてはならないと主張する。
科学研究が適正に行われる条件は、徹底した相互批判が保証されていることである。まずは研究者同士の間で、相互批判を通じて、科学的に必要で妥当なことしかしないし、やらせないという態勢が整えられている必要がある。さらにそうしたやり取りが、専門家の間だけでなく、科学界と社会の間でも行われることが求められる。
まさに正論である。なにが「必要で妥当」であるかというのは、いささか難題ではあるが、脳研究のみならず、すべての研究者は、このことを常に肝に銘じておかなければならないのは間違いない。
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おすすめ本
3000例以上ものロボトミー手術をおこなったロボトミストことフリーマンの伝記。これにて、ちょっと名誉回復、とされています。
アメリカなどでは功利主義的な生命倫理が主流といっていいかもしれない。
解説を書かせてもらったから言う訳じゃありませんが、絶対おもろいです!
脳ってほんとに不思議です。超おすすめの一冊。まだの人は、ぜひこの機会に!