たしかに”言ったもの勝ち”の世界ではあると思う。これまでにもHONZの朝会では、こんな本やこんな本だって話題になってきた。しかし、そこで競い合うように示されてきた数字とは、桁が一つ違うのである。
誰だって長生きはしたいと思うのが、世の常であるだろう。そんな我々の寿命を2倍にも3倍にも、あるいは好きなだけ延ばせると確信している男 ― それが本書の主人公、オーブリー・デ・グレイだ。
彼は人間の寿命が500年または1000年になると予想し、100万年という数字までほのめかしている。しかも、そんな新人類の時代が50年、ことによると15年ほどで訪れるかもしれないと言うのだ。
一体、彼はどんな男なのか?それを知るためには、こちらの動画を少しばかり見てもらえると話が早い。
ヒッピー風の風貌を持ち、ギークのような早口で自分の言い分をまくしたてる。おおよそ生物学者のイメージとはほど遠い印象だ。それもそのはず、彼はコンピュータ・プログラマーの仕事を持っており、生物学において数々の実績を持つとはいえ、学者としてはアマチュアの人物なのである。
そんな彼が広げた大風呂敷を、緻密な筆致で丁寧に折り畳んでいくのが、本書の著者、ジョナサン・ワイナ―。『フィンチの嘴』でピュリッツァー賞を受賞した彼にとっても、オーブリー・デ・グレイという男は、相当異色な人物であった模様だ。
「どうにも付き合いきれないな!」デ・グレイを前にして、著者はしばしば思ったそうだ。しかし、その説明を何度も聞くにつれ、やがて彼は考えを変える。新しいものと古いもの、途方もないものとまともなもの、現実的なものと矛盾したものが奇妙に混じり合ってはいるが、デ・グレイはペテン師でも詐欺師でもないと判断するようになったのだ。
老化という分野は、昨今の高齢化社会ともあいまって急速に注目を集めているが、学問としての歴史は比較的浅いのだという。人間の生命は、誕生直後は秩序に溢れているのに、最後には致命的な無秩序に彩られてしまう。この整然さに欠けるという特性ゆえに、整然としたパターンを得意とする科学が注視してこなかったというのも、無理はない気がする。その結果、科学の中でも長らく手つかずの領域となってきたのだ。
この老化というものに対するデ・グレイの認識は、非常にシンプルだ。彼は、老化を医療問題だと考えている。我々はみな、この病気にかかっており、しかもこの病気は必ず死に到るのでとことん取り組むべきだ、という固い信念を持っているのだ。
老化とは、基本的に体の細胞にゴミが溜まることで起きるものである。その原因は突き詰めれば、以下の7つのポイントまでに絞り込めると、彼は主張する。
・体内の分子が年齢とともに絡みあって硬くなり、分子どうしがあらゆる場所でくっついていくこと ・年齢とともに起きる細胞内のミトコンドリアの衰え
・細胞内にたまるゴミ
・細胞外間隙にたまるゴミ
・一部の細胞が老いて、ただそこにいるだけで機能を果さない厄介者になること
・一部の細胞が死んでまわりの細胞に毒素をまき散らすこと
・私たちの体内細胞でも最悪の「市民」が細胞核の遺伝子に危険な突然変異をもたらすこと
これらの問題に対処する術は、これまでには老年学と老年医学という二つのアプローチがあった。ざっくり言うと、老年学はダメージを予防しようとするもの。一方、老年医学者は時間を戻そうとするもの、つまりダメージが病気に変わるのを止めようとするのである。
デ・グレイが取ったのはどちらでもない、第三のアプローチだ。それが彼の呼ぶ「工学」的アプローチというものである。体の細胞にゴミが溜まるという事実に対し、ゴミが出ないようにするのでもなく、ゴミが腐るのを防ぐのでもなく、ただ掃除を行うことによって状態を維持しようとするのだ。このアプローチが特徴的なのは、老化プロセスには直接介入しないという点にある
そんな工学的アプローチの実例を見てみよう。例えば、無数の老化した細胞を、体内で埃のようにまき散らすリポフスチン分子というものがある。この分子を取り除くためには、どのようにすればよいのか?彼は思いがけないところで、そのヒントを見つけた。
高速道路では、ごく小さなゴム片が絶え間なく車のタイヤからはぎ取られ道路脇にたまる。そこには特殊な進化を遂げた微生物が住みついてゴムの小片を食べていたのだ。ゴム処理の秘訣を知る場所が道路脇にあるのなら、老化した分子のゴミの処理は、どこを見れば良いのか。
答えは墓場にあった。言うまでもなく、そこでは土中の微生物が棺の蓋や死衣を通り抜け、ゴミを最後まで食べ尽くしていたのである。デ・グレイは、古い墓場を掘り起こし、そこで進化した細菌の秘密に迫ろうと即座に提案したそうだ。それにしても老化治療のヒントが墓場にあるなんて、灯台もと暗しとはこのことか・・・
誤解のないよう言及しておくと、彼はまだ、この問題を完全に解決したわけではない。そもそも彼は自分自身では実験を行わないのである。ただし、この領域においては門外漢のデ・グレイが、戦略という領域にスコープを絞り込むことによって、これまでの科学者とは別の景色を見ることを可能にした ― そこに痛快さを感じるのである。それは自動車を設計する能力がなくても、メンテナンスを行うことで長く車に乗り続けることが可能であるということにも非常に近い。
そして、ここまでくると興味の対象は一点に集約される。それは我々が不老不死というXデーを迎えるのは、いつなのかということだ。それぞれの研究者が直前の研究者の成果に積み重ねていけば、現在、存命している多くの人が、彼が脱出速度と呼ぶものに到達するはずだという。はたして脱出が先か?それとも寿命が先に来てしまうのか?
仮に実現したとしても、良いことばかりでは決してないだろう。しかし、そんな日が来るのを想像するのは素直に楽しい。仮に1000歳で死ぬとして、僕の場合あと963年。今のペースで本を買い続ければ、あと481,500冊は本を買うことになる。何もかもが桁外れ。そんな予想もしなかった領域での想像力を、存分に掻き立ててくれるのだ。
ぶち上げた構想にニヤリとし、解決するためのアプローチに膝を打ち、まだ見ぬ世界に夢を膨らます。様々な感情が、見事なまでにパッケージされている一冊だと思う。「騙されたと思って、読んでみなよ!」という台詞が、これほど似合う本も珍しい。
不老不死の世界は、はたして本当に幸せなのか?そんな深みにはまってしまった方には、こちらのSF小説がおススメ。自分の体にWacheMeというソフトウェアを入れ、万全の予防を自動的に行う、誰も病むことのない世界。医療産業社会と完全なハーモニーをみた人類。まさにユートピアの臨界点。
サンゴやイソギンチャクと同じグループに属し、海の宝石とも呼ばれる不思議な生き物「ヒドラ」。体を切られても、小さく切り刻まれても、死なない。それどころか、元通りの体を再生することまで出来るのだという。ギリシャ神話も真っ青の不死生物、ヒドラの解説本。
カルト教団「アルコー延命財団」を内部告発した著者による、戦慄のノンフィクション。彼らは、病気で死んだ人間の身体を冷凍保存し、その病気の治療法が開発された未来に甦り、新たな人生を送ることを主な目的としている。話の内容の凄まじさに加え、グロい写真も掲載されていたりするので、どうかお気をつけなすって。