著者は酒飲みの間では有名なあの大竹聡氏である。「ああ~」という声が聞こえてきそうなのは私だけだろうか。そんなことはない。居酒屋のオヤジたちは今の文部科学大臣を知らなくても大竹氏は知っているはずだ。JR中央線の各駅のホッピーを提供する店をマラソンと称して巡った名著『中央線で行く東京横断ホッピーマラソン』で酒飲み達の注目を集めたあの大竹氏である。酒飲みなら誰もが読んでいる雑誌『酒とつまみ』も手がけるあの大竹氏である。余談だが『酒とつまみ』で紹介されている、ねぎに塩をまぶして豆腐にかけてゴマ油をちょろっとたらすつまみは悶絶もののうまさである。本当にどーでもいい余談である。
本書はその大竹氏がひたすら飲みまくるエッセイ集である。09年に刊行された『大竹聡の酔人伝 そんなに飲んでど~すんの』の文庫版で4本のエッセイを加筆して約30編が収録されている。対談も巻末に加わっているが、文庫化に際して特筆すべきなのは改題したタイトルだ。『ぜんぜん酔ってません』とは何とも素晴らしい。金曜日の新橋に赤提灯の中で交わされる会話から頻出ワードを抽出すれば、ベスト5に入るフレーズではないだろうか。千鳥足でも「ぜんぜん酔ってません」、上司に絡んでも「ぜんぜん酔ってません」、トイレから帰ってきてズボンの股間部がなぜかびしょびしょでも「ぜんぜん酔ってません」。酔っぱらいをこれほど象徴し、惹きつけるフレーズはないだろう。酒に強くないが性懲りもなく飲んでしまう私も思わずタイトル買いしてしまったわけだ。
正直、朝っぱらから酔っぱらいの本など紹介するつもりは毛頭無かったのだが、昨日の深夜に「さて明日のレビューを書くか」と景気づけにビールをぐびぐび飲み、酒のつまみに本書を読み始めたら読むのがとまらなくなってしまった。気づいたら「これは書くしかない」と気持ちが高まっていたわけだ。雪崩式に決めたように映るかもしれないが、もちろん、全然酔っていません。帯には作家の伊集院静氏が「これだけ飲めばひとつの哲学である 」、重松清氏が「読み始めると止まんないよ」と書いてあるがその通りなのだ。
肝心の中身だが、作家の酒や酒場に関わるエッセイなどを読むのが好きな方には、この本はおすすめだ。当然だがどこから読んでも酒の話だからだ。私は作家のエッセイ集から酒場のシーンを必死になって探して読んでは、「この人も酒では苦労しているのだな」と何とも切なくもうれしい気持ちになるのだが本書ではそれが全編を通じて味わえるのである。なんと贅沢なことか。
「苦労しているのだな」と書いたが本書は切なさやうれしさを飛び越して、むしろ感心してしまう。本書の大半のエッセイは大竹おじさんが飲んで飲んで飲まれて飲んでぶっ倒れるまで飲んで、次の日もまた飲む話だからだ。35時間ぶっ通しで寝ずに仕事して、その後、10時間くらい飲み続ける話などこちらが心配になってくる。
あまりのぶっ飛びぶりに、単行本出版時は創作じゃないのかとの指摘もあったらしいが、全編を通じて、酒飲みの泥酔時の気の大きさと素面に戻ったときの小心さがうまく描かれており、これは紛れもなく実話であろうと思わせる。例えば「飲みすぎてやらかした。ああ運転手さん、ごめんなさい!」というエッセイで、恐る恐る前日の愚行を必死に思い出そうとするも、はっきりとは思い出せず、いや思い出したくないと思いながらも記憶を辿るシーンなどうなってしまう筆致だ。気づいたら高尾やら藤沢やらの駅に佇んでいる自らのあほさ加減をを記した一編「目的の駅をいつも通過するブラックアウトエクスプレス」も秀逸だ。飲んだ帰りに乗り過ごさないための策略を練りながらも、泥酔して寝てしまうことで見知らぬ駅で降り続ける。「わかっているけどやめられない」を軽妙に描くさまは酔っ払いエッセイの金字塔だ。
本書は酒飲みの「あるある」共感本に終わらず、酔っ払いエッセイという芸としてジャンルを成立させているといっても過言ではない。それは意識か無意識か下ネタを盛り込んでいないことに関連しているかもしれない。巻末の対談でも指摘されているが、この本、酔っ払いおじさんにつきもののエロが皆無なのだ。そのため、いくら酔っても明るいだらしなさで留まっている。エロ特有の湿り気がないのだ。文章のベクトルがエロにぶれずに全力で酔っぱらいの惨劇に向かっているから、こちらもためらいなく笑えるのである。
それにしても、タイトルの『ぜんぜん酔ってません』が何ともよい。完全なタイトル推しである。同じことを冒頭にも書いて最後にも書くなど、私、酔っているのかもしれない。すでに、ビールから切り替えて、ハイボール3本目であるのはどーでもいいか。結局、『ぜんぜん酔ってません』というタイトルはおじさんの「おれはまだまだのめるぞ」という、どーでもいいはずのかすかな見栄が見え隠れするところがなんともよいのだ。私などは面倒くさいので、最近など飲む前に「1杯でべろべろです」など予防線をはってしまうが、本書を読みすすめる内になんだかそれではいけない気がしてきた。嘔吐しても、吐瀉物が髪についても「ぜんぜん酔ってません」と言い張れるスピリットが30代前半で欠けているのは、いかがなものだろうか。著者が言うように、このままでは「ぜんぜん酔ってません」おじさんが日本から絶滅しかねない。我こそはと率先して「ぜんぜん酔ってません」おじさんにならなくてはいけないのではないだろうか。そういえば今日は金曜日だ。本書を持って新橋へ行こう。