つい先日、話題になったヒッグス粒子発見の報。それを伝える紙面上で紹介されていた、物理学者・中谷宇吉郎のエッセイがずいぶんと印象的であった。
科学研究のやり方には警視庁型とアマゾン型の2種類がある。結果の目星がついていてその結果を得るための研究が警視庁型、研究対象の何たるかも分からぬまま秘境に分け入るのがアマゾン型――というものである。
1964年に存在が予言された「神の粒子」が、半世紀近くの時を経て理論を築き、実験で検証される。これこそまさに、警視庁型の極みと言えるだろう。一方で、アマゾン型の極みとも言えるのが、本書で紹介されているような物語の数々である。
調査対象がどのようなものか正体がはっきりせず、それがどのように影響を及ぼすのかも分からない。それでもじっとしていられないのが、科学者というものである。仮にそれが、人体に及ぶケースであったとしても彼らは人体実験という手法で道を切り開いてきた。
しかし、人体実験には常に道徳的な問題がつきまとう。そこで編み出された奥義が、自己による人体実験というものであったのだ。本書はそんな己の命を賭けた科学者たちの、特攻野郎列伝である。
まずはこちらの目次を、とくとご覧いただきたい。
第1章 淋病と梅毒の両方にかかってしまった医師 ― 性病
第2章 実験だけのつもりが中毒者に ― 麻酔
第3章 インチキ薬から夢の新薬まで ― 薬
第4章 メインディッシュは野獣の死骸 ― 食物
第5章 サナダムシを飲まされた死刑囚 ― 寄生虫
第6章 伝染病患者の黒ゲロを飲んでみたら ― 病原菌
第7章 炭疽菌をばら撒いた研究者 ― 未知の病気
第8章 人生は短く、放射能は長い ― 電磁波とX線
第9章 偏食は命取り ― ビタミン
第10章 ヒルの吸血量は戦争で流れた血よりも多い ― 血液
第11章 自分の心臓にカテーテルを通した医師 ― 心臓
第12章 爆発に身をさらし続けた博士 ― 爆弾と疥癬
第13章 ナチスドイツと闘った科学者たち ― 毒ガスと潜水艦
第14章 プランクトンで命をつないだ漂流者 ― 漂流
第15章 ジョーズに魅せられた男たち ― サメ
第16章 超高圧挑戦し続けた潜水夫 ― 深海
第17章 鳥よりも高く、早く飛べ ― 成層圏と超音速
あとがき 究極の自己犠牲精神をもった科学者たちに感謝
特別集中講義 『人体実験学特論』へようこそ 仲野 徹
表紙、そしてこの目次を見ただけで、1年に1回あるかないかの大当たりであるということが判断できる。これだけで、ご飯3杯は食べられるレベルだ。本を読んでいる途中に、読み終えるのが残念だなと思うことはよくあるのだが、読み始める前にそう思えることなど、そうそうない。
そして一番下のオチの部分には、何やら見覚えのある方のお名前が。いや、気のせいか。気を取り直して、さっそく本題に入りたい。
”死は生の対極としてではなく、その一部として存在している”とはよく言ったものだが、ページをめくるごとに「なぜ、そんなことを?」と思わずにはいられない。まさに、死と隣り合わせの連続だ。
まず最初に紹介したいのが、外科を商売から科学へと変えたとも称されるジョン・ハンター。彼が存在していた18世紀末、主な性病には淋病と梅毒の2種類があったという。灰尿痛と尿道口からの排膿を引き起こす淋病はありふれた病気であったが、梅毒は淋病よりもずっと悪質で恐ろしい病気だった。
ある日、彼は「一人の患者が同時に淋病と梅毒に羅患することはない。よって、淋病と梅毒とは単に進行段階が異なるだけで同一疾患であるに違いない」という仮説を立てる。淋病は局部に限定された病気であり、それがのちに全身に広がって梅毒になるのだ、と考えたのである。
自説を検証するためには、性器を気軽に間に毎日診察できる実験台が必要となる。そこでハンターは、驚くべきことに自身の局部に患者の膿を塗りつけたのである。その後、彼を待ち受けていたのは想定外の悲劇であったのだ・・・
お次は、19世紀のドイツ人科学者ペッテンコーファー。彼は、当時最大の伝染病であったコレラの要因が、湿地などの土地に依存するものではないかという説を唱えた。しかしその後、コッホなどの手によって細菌説が唱えられ、ペッテンコーファーの仮説は揶揄されるようになってしまう。
自説に恋する74歳の老教授が取った行動はいかに?なんと彼は、コレラ菌の入ったフラスコをかかげ、一気に飲み干したのだ。その後、激しい胃けいれんと下痢を起こし、その症状は一週間続いたという・・・
科学版・巨人の星とでも言うような親子も存在する。ジャック・ホールデンとその父親ジョン・スコット・ホールデンだ。ジャックは幼いころから父親に坑道へ連れて行かれ、到死性のガスの付近で決死の特訓を受けたのである。
大きくなった彼が挑戦したのは、大リーグボール1号ではなくて、急激な加圧・減圧の実験であった。ある日急激な減圧中に、ジャックの詰め物をした歯の一本は甲高い悲鳴を上げ、ついに爆発してしまう。歯の空洞の中に入っていた空気が減圧によって膨張し、行き場を失ったために歯が割れたのである。また耳の鼓膜は破れ、両耳からは煙草の煙の輪を吐き出せるようになったほどであったという・・・
各々が独立したストーリーによって構成された各章は、それぞれが映画のクライマックスのようなシーンの連続である。そして、そんな人生のクライマックスがバトンリレーのように受け継がれ、少しづつ科学は進化してきた。
麻酔の研究など、その典型であるだろう。麻酔分野の先駆者である4人は、いずれも麻酔剤を自分でテストするうちに中毒者となったそうだ。その多くは、世に認められないことに憤懣を抱き、失意のうちに早世していったのである。しかし、それらの成果は後にフレデリック・プレスコットという科学者のもとで結実することとなる。
それにしても一体何が、彼らをそこまで突き動かしたのか?誰だって、放っておけば死は訪れる。それでも死へ向かって生き急ぐ必要があったのか?彼らの判断の根底には、内容に違いこそあろうとも、後世に対して己の人生を意味付けしたいという、強い思いがあったのである。
”もし自分が患者と同じ病気だったら私は自分の体で実験しただろうし、自分に対しておこなっただろうと思われる以上のことを他人の体で実験したことはない” (ジョン・ハンター)
”もしも私の考えが間違っていて、この実験が私の命を危険にさらすことがあっても、私は冷静に死と向き合うでしょう。なぜなら、それは無思慮ないし怯懦な自殺ではないからです。私は科学のために死ぬのです。” ( フォン・ペッテンコーラ)
”人生には恐れなければならないものは何もありません。理解しなければならないものがあるだけです。” (マリー・キュリー)
”自分自身の体で試してみるまでは、他人を実験台にするなんて考えられない。” (ジョン・クランドン)
”危険だと分かっている実験をおこなう必要がある場合もある。病気がどのように伝染するかを検証する実験などがそれである。そのために大勢の人間が死んだ。私としては、これは理想的な死に方だと思う。” (ジャック・ホールデン)
利他精神、虚栄心、勇気や好奇心といった様々な人間的要素。科学には、理屈では説明のつかない非科学によって形成された歴史が、確かに存在するのだ。
物議を醸しだし愚行と呼ばれるものたち、一方で眉をひそめて愚行と決めつけるものたち。賭けているものこそ違えど、身の回りでもよく目にする構図であるだろう。しかし、時間のスケールの取り方一つで、その評価は大きく変わることもある。
愚行か?それとも偉業か?それを判断するには、我々の人生はあまりにも短すぎる。数々の屍の上に成り立つ身の回りを振り返りながら、そう思わずにはいられない。
本書は、時代の空気によって過少に評価されてきた勇者たちを供養するかのように、一人一人にスポットライトを浴びせていく。しかし、その周囲には、それでもなお日の目を浴びることの出来ない無名の戦士たちが、ごまんと存在するのだ。
壮絶、逸脱、狂気、マッド、どんな言葉を当てはめても、彼らの行為の前には陳腐に思えてしまう。個の存在が軽かった時代と言ってしまえば、それまでかもしれない。しかし、彼らには未来への大きな希望があったのだろう。狂気をもって正気を教えてくれる。本書は、そんな得難い一冊だと思う。
さて、最後に本書の巻末に収録されている、仲野徹の解説にも触れておきたい。その壮絶さにばかり目が向きがちな人体実験であるが、誰のための実験か、誰を用いての実験かによって、倫理面での評価というのは大きく変わってくる。それらの分類をマトリクスで整理しながら、講義仕立てで解説してくれている。そんな仲野徹のレビューはこちら!
マッド・サイエンティストではないが、マッドな読書家・仲野先生による、生命科学者たちの伝記を紹介した一冊。HONZが新刊以外にも手を出したらこうなりますというお手本のような仕上がりである。成毛眞による抗議文はこちら
今月の朝会でも話題になっていた一冊。百科事典風に、ヒトの死因を紹介している。ちなみに1930年以降の、人体実験によるものとわかっている死亡者は50,345人であるそうだ。
元素周期表をインデックス代わりに、人類史を読み解くという一冊。化学がいかに社会に密接に関係したサイエンスであるかを、エキサイティングに紹介している。